甲斐 能見城(韮崎市)

主郭部跡あたりにたつ城址板と守屋一族発祥の地の石碑

穴山氏館の詰の城? or 新府城の出城?

所在地

山梨県韮崎市穴山町夏目、JR穴山駅の正面(東)の山

形状

丘城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:城址名板

満足度

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訪城日

2009/06/07

歴史等

記録的には明らかではないが、その立地から、新府城の出城として天正9年 (1581)築かれたという説が有力であるが、詳細は不明瞭で、近隣に館(穴山氏館) を有する穴山氏による独自の城との説もある。
未だ大規模な発掘調査などはされておらず、能見城はともかく、 能見城防塁は武田氏が建設したものか天正壬午の乱時に徳川家康が築いたものかも判然としない。
『フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」、「穴山駅前説明板」他参照」

現況・登城記・感想等

能見城の築城にはいろんな説があるようだが、地元としては「穴山氏発祥の地」ということで、「穴山氏館の詰の城」 という説を取りたいところだろう。穴山駅のホームの案内板にも駅前駐車場にある案内板にも詰城となっている。
能見城址は、JR穴山駅の正面(東)にあり、その壁面に「能見城跡」の大きな看板が見える。
城址へは、車で行ける道もあるが、途中で通行止めになっているので、そこから5~6分ほど歩いて行くと、主郭跡らしい処に、「城址板」と 「守屋一族発祥の地の石碑」がある。石碑には、武田信玄の臣・守屋新兵衛がこの地を治めたとある。
途中、土塁跡らしいのが幾つかあるが、よく分からない。少なくとも、主郭周辺部は、上水施設建設により消滅したようだ。
(2009/06/07登城して)

ギャラリー

能見城址全景
JR穴山駅前の駐車場から撮ったもので、正面の山が能見城址で、壁面に「能見城跡」の大きな看板(写真中央) が見える。

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