本丸跡に建つ石碑と説明板
戦国末期に椎名氏居城の越中最大規模の山城も上杉氏により落城
所在地
富山県魚津市鹿熊字城山
【行き方】
「角川ダム」から東側の県道33号で600m南下して鋭角に左折する松倉城の看板有)。あとは城の案内板に従って進めばよい。
本丸下に駐車場有り。
形状
山城(標高:430m、比高360m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構:土塁、曲輪跡、堀切、石垣、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
2006/05/01
歴史等
松倉城は標高430mの城山に築かれた城で、山頂部には空堀で区切られた5つの曲輪が南北に並び、
その周辺部には多数の平坦地や空堀が設けられており、長さが1kmにも及ぶ巨大な城郭である。
松倉城の周囲には支城や砦跡と考えられる遺構が10数ヶ所発見されており、越中で最大規模といわれている(魚津城も支城の一つであった)
。
築城は南北朝期の14世紀前半と推定され、幾多の武将がこの城をめぐって戦いを繰り返した。
戦国末期には椎名氏の居城となったが、越後の上杉によって攻め落とされ、魚津城が新川地方の中心となってからは、
政治的・軍事的役割は低下した。松倉城の繁栄は、背後にひかえる松倉金山の経済力が大きかったと考えられている。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
いやあ~! まさに山城の典型ですね。車で、ほぼ山頂まで登れるとはいうものの、
その道は車のすれ違いが出来る箇所は非常に限られている上に、谷側は断崖絶壁でガードレールもなくヒヤヒヤものでした。また、
ところどころにまだ雪が残っていたり、ちょっとした崖崩れを起こしている箇所があり木が倒れていたりもした。おまけに
「ちょっと前に降った雨も重なり地盤が緩んでいて道が崩れるのではないか」とか、「車が来たら大変だな」とか心配しながら登った。
本丸・二の丸・三の丸は山頂付近の駐車場からすぐである。本丸の周りは登ってきた方角意外は全て絶壁になっている。そして、
天候が悪く霞んではいるものの本丸からの眺望はまさに絶景である。北方面は眼下にいくつもの山並みと魚津の町並み、
そしてその向こうには富山湾まで望める。南方面には、真っ白に雪化粧をした立山連峰がくっきりと見え、その下には多くの山並みが見える。
これらの山並みには、升方山城や天神山城等々多くの松倉城の支城が含まれる。
本丸には、いくつもの大きな石があり、そのひとつが松倉城址の石碑になっている。本丸の奥には八幡社が祀られた曲輪跡があり、
深い堀切で区切られている。本丸と二の丸の間、二の丸と三の丸の間も堀切で区切られている。どの堀切もかなり深く掘られており、
今でもはっきりと分かる。
これだけ山奥深く、しかも標高430m、比高360mもの高い所にあり、しかも、支城も含めこれだけの防御体制の城郭でありながら落城・
滅亡の運命を辿ることになるとは・・・。
車での登りの山道のインパクトが強く、私には非常に印象深い城跡である。歩いて登ったら少なくとも1時間以上はかかるであろうと思われるが、
松倉城には、山麓や山腹にも多くの遺構が残っているようである。機会があったら、じっくりと回ってみたいものである。
(2006/05/01登城して)
ギャラリー
松倉城塁群(現地説明板より) ~クリックにて拡大画面に~
10幾つもの支城や砦からなる巨大な城塁群である。
松倉城の図
本丸跡
本丸は細長く、奥には深い堀切を挟んで八幡社が祀られた曲輪跡がある。
本丸からの景色は絶景である
北側の景色
曇ってはいたが、魚津の街並みと、その向こうには日本海が見える。
南側の景色
写真では分かり辛いが、近くの山並みの向こうに立山連峰が真っ白に雪化粧
㊧八幡社が祀られた曲輪跡、㊨八幡社の曲輪との間の深い堀切
本丸と二の丸の間の空堀
二の丸跡
本丸から見下ろしたもので、間には空堀が見える。
㊧二の丸と三の丸の間の堀切