城跡である了照寺入口脇に残る土塁
大村城(海岸通)の出城
所在地
富山県富山市日方江914(了照寺)
形状
平城
現状・遺構等
現状:了照寺
遺構等:土塁、空堀、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/06/07
歴史等
この城は、安土桃山時代の天正年間(1573-91)以前に大村城の出城として成立したという。
轡田豊後守の居城と伝える大村城の東400メートルに位置し、
轡田家の家老、あるいは江上重左衛門(萬十郎)の居城であったとされる。
西は窪田川、東は琵琶川の沼地、北は海と天然の要害に囲まれ、浜街道の要所にあった。
浄土真宗了照寺境内を中心に、南北約80メートル東西約70メートルが城跡とされ、境内の南側から西側にかけて高い土塁と空掘りが残る。
寺の南側に空掘と郭、東側に土塁と空掘、富山学園南側に空掘などが残り、築山割・築山畑割・屋敷割など城に関する小字も多い。
北方の天神社境内には、上杉謙信が大村城の動静をうかがうために作った「そうけ塚」、また南方には、兵が馬の足を洗った事に由来する「馬橋」
などの伝承地がある。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
了照寺の入口に説明板があり、その後ろからお寺の裏へと土塁が周って残っている。お寺の裏が林になっているが、
土塁と空堀がはっきりと残っているのが確認できた。しかし、とにかく大変な藪で、少し入っただけで、周るのは諦めた。
(2007/06/07登城して)
ギャラリー
了照寺裏の林内(竹薮)に残る土塁跡
土塁と堀(左側)
日方江城(手前右の林)と大村城(左奥の丘)