城址全景
前田慶次郎が城代をつとめた海城
別名
英遠城、青城、青生城、阿波城、阿生城、氷見城、磯部城、岩崎城
所在地
富山県氷見市阿尾城ヶ崎
【行き方】
県道18号線「阿尾城跡入口」信号を東へ曲がり、200m程行った1本目の路地を右折し、100m程行くと右手に「白峰社」がある。
途中から通り沿いに「阿尾城」の看板がある。神社前に無料駐車場が完備されている。
形状
平山城
現状・遺構等
現状:小山・神社
遺構等:曲輪、土塁、空堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2005/05/05
2007/06/09
歴史等
阿尾城は富山湾に面した標高20~40メートルの独立丘陵上に立地し、その独特の景観とともに市民に親しまれている史跡である。
発掘調査では伝二の丸、伝三の丸から中世の土器・陶磁器類が多数出土した。また伝本丸には櫓があったと伝えられ、
ここで海上交通を監視していたと思われる。築城の時期は不明であるが、
出土遺物からは十五世紀後半頃に城としての利用が始まったと推定できる。
天正・文禄年間(1573~1596)頃には菊地右衛門入道・十六郎父子が居城した。菊地氏は織田信長配下の佐々成政に従ったが、
成政と前田利家が対立すると前田方へ寝返り、一万石を安堵された。しかし慶長初め(1597頃)には廃城となり、
菊池氏の子孫は加賀藩士となった。
『阿尾城跡案内板』より
慶次郎ゆかりの地で、しばらく城代をつとめたことで有名でもある。
現況・登城記・感想等
七尾城に向かって行く時に、阿尾城址の案内板があったが、登城口が見つからず登れなかった。
氷見フィッシャーマンズワーフ近くまで来てから、絶壁になっている小半島が見えた。それが阿尾城址であった。時間がなかったので、
今回は遠景を見るだけで諦めた。場所が分かったので、次回は絶対登城しよう。
(2005/05/05遠景を見て)
2年前に、七尾城址へ登城した帰りに遠望を眺めただけで終わってしまい、
今回、初登城である。前田慶次郎が一時ではあるが、城主となっていた城とのことであり、
また遠くからみる崖が海に落ちる姿がすごくかっこよく、大いに期待しての登城であった。
しかし、遺構は、あまり残ってなく、しかも本当に小さく、城というより砦といった方が相応しい感じである。
ただ、二の丸や本丸展望台からの眺望は素晴らしい。ただ、あいにくの曇り空で、遠くに聳えているはずの立山連峰は全く見えなかった。
空気の澄んだ、天気のよい日に登ったら、最高の眺めであろうことが容易に想像出来る。この先、見れることがあるだろうか? 一度、
是非見たいものである。
(2007/06/09登城して)
ギャラリー
阿尾城絵図(現地説明板より)
阿尾城航空写真(現地説明板より)
登城口
何故、
前回見つからなかったのか不思議なくらい登城口までは実に分かり易かった。
伝三の丸
三の丸は狭く、
神輿舎が建っている。
伝二の丸
二の丸もそれほど広くない。
ここからの眺望も素晴らしいが、あいにくの雨まじりの曇り空。
本丸への土橋
最後、
本丸への道は人一人通るのがやっと。しかも両側は絶壁。「縄にもたれかけないで下さい」とあったが、こんな所で、もたれる人が居るのか?
伝本丸
本丸も、それほど広くなく、
2段になっている。
本丸の展望台からの眺望
本来
(天気が良ければ)ならば、富山湾の向こうに、真っ白に輝く立山連峰が見えるはず!!!も、あいにくの天気で・・・・。
その眺望を一度は眺めたいものだ。
阿尾城の遠景
(2005/05/05にフィッシャーマンズワーフから撮ったもの)
中央に半島状に出ているのが、阿尾城址。