城の櫓のような鼓堂
古国府城のあった勝興寺は、前田家所領後も保護を受け続けた
所在地
富山県高岡市伏木古国府、勝興寺
形状
平山城
現状・遺構等
現状:勝興寺他
遺構等:曲輪、土塁、空堀
満足度
★★☆☆☆
歴史等
古国府城(ふるこくふじょう)は、天正年間に神保氏張によって築かれた。氏張は、
二上山に築かれた守山城を居城とし山麓で伏木港を押さえるこの地に支城を築き、家臣に守らせた。
古国府城周辺は越中の国府が置かれていた場所である。
天正11年(1583)、富山城主佐々成政が越中を制圧すると、神保氏張は佐々成政に臣従した。その後、成政が豊臣秀吉と敵対し、
前田利家と一進一退を繰り広げると、越中の一向宗を味方に付けるため、天正12年(1584)
に古国府城一帯を勝興寺に寄進し城地に同寺が築造された。天正13年(1585)、佐々成政は豊臣秀吉に降伏し、この地は金沢城主前田利家の所領となった。
前田家の所領になってからも幕末まで前田家に保護を受けた。現在も勝興寺となっていて、
ほぼ方形の境内の周囲には分厚い土塁が巡らされている。
『参考サイト:お城の旅日記』
訪城日
2005/05/05
感想等
城建築のような鼓堂が建ち、その前には水堀まであり、まるで城のようだが、これらは城の遺構ではない。
城址遺構としては、寺の周囲(前面を除く)をめぐる土塁や空堀が残っている。
勝興寺の唐門・本堂・経堂・総門・鼓堂等の建築物は重要文化財に指定されていて、
唐門は京都興正寺にあった唐門を明治時代にこの地に移築したとのことである。
また、本堂は西本願寺を模して造ったというだけあって大きくて立派なもので、全国の国宝・重要文化財建造物で8番目の大きさとのことである。
(2005/05/05訪城して)
ギャラリー
勝興寺の周囲をめぐる土塁
奥に見えるのが城遺構の土塁で、右手前の石垣は、後世のもの。
寺の手前には水堀が
勝興寺の手前には水堀があるが、これも後世のもののようだ。
勝興寺唐門(重要文化財)
京都興正寺にあった唐門を明治時代にこの地に移築した。
勝興寺式台門(重要文化財)
勝興寺本堂(重要文化財)
西本願寺を模して造ったというだけあって大きくて立派なものであり、全国の国宝・
重要文化財建造物で8番目の大きさであるとのこと。