復興天守
小京都といわれる城下町は文化人・金森長近による
別名
亀山城
所在地
福井県大野市城町3番109号
形状
平山城(標高:270m、比高:約75m)
現状・遺構等
現状:亀山公園
遺構等:復興天守、天狗書院、門、石垣、本丸跡、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
1997/05/10
歴史等
戦国時代末期の天正3年(1575)、織田信長は、一向一揆平定のため、部将金森長近をこの地に封じ、翌4年(1576)
亀山に築城したのが大野城である。長近は碁盤の目の城下町を造り、大野の町は後世、小京都と言われる。
同14年(1586)長近が飛騨高山へ転封した後、
青木秀以・長谷川秀一・織田秀雄らが城主となり、越前に結城秀康が封ぜられると重臣土屋正明・忠次、小栗美作が在城した。
次いで秀康の子松平直政・直基・直良が封ぜられたが、直良の子直明は天和2年(1682)播磨明石に転封となった。
同年、土井利房が4万石で入封し、土井氏が廃藩置県まで在城した。
現在の天守は昭和43年に往時を推定して、残っていた野面積みの石垣の上に再建された2層4階の鉄筋コンクリート建てである。
『大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)より』
現況・登城記・感想等
遠くから見る山上の天守閣の姿はなかなかのものだ。本丸までの登城道も気持ちいいし、野面積みの石垣も結構カッコいいのであるが、
どういうわけか印象は薄い。
却って、越前の小京都と云われる町の佇まいや名水で知られる御清水(おしょうず)の方が印象が強いのは何故だろう?
(1997/05/10登城して)
ギャラリー
大野城全景
本丸石垣
搦手門
㊧金森長近の像、 ㊨土井利忠の像
御清水(おしょうず)
綺麗な水が湧き出している。したがって、越前大野は蕎麦が実に美味い。