三河 瀬木城(豊川市)

神明社北西部に残る空堀

牧野古白が上郷進出の拠点として、牧野城に次いで築いた城

所在地

愛知県豊川市瀬木町郷中
【アクセス】
豊川市瀬木町郷中へ着き周りを見渡したら森が見えたので向かったら城跡である神明社だったので、説明ができません。スミマセン(汗)。

形状

平城

現状・遺構等

現状:神明神社
遺構等:曲輪、土塁、空堀、土橋、虎口、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2010/11/28

歴史等

足利将軍義持の命により新補地頭となった田口(田内)伝蔵左衛門成富が、応永年間(1394~1428) に一色氏の被官として四国の讃岐からここ三河国中条郷牧野に来住し、その後、地名をとって牧野と名乗った。
瀬木城(せぎじょう)は、明応2年(1493)に牧野古白(成時)が牧野城に次ぐ居城として、 また、上郷(河岸段丘上の古宿牛久保)進出の拠点として築城したものである。
当時は、豊川が城の東側を流れており、牧野城と瀬木城は豊川の本流によって強く結びついていた。
その後、古白は一色氏の家臣で一色氏を討ち実権を握って一色城に居城していた波多野全慶を討ち滅ぼし一色城に入った。牧野氏も以前、 一色氏に仕えていたので、仇討ちを行なうこともできたのである。そして、牧野城に長男能成を、 瀬木城には次男成勝を配した。
その後、古白は、さらに勢力を拡大し続け、永正2年(1505)に今橋城 (後の吉田城)を築いて移った。
そして、成勝が一色城に移り、また、豊川の流路も変ったこともあって瀬木城は廃城となった。
『「日本字城郭大系9」、「現地説明板」等参照』

現況・登城記・感想等

ややこしい道を通り、何とか城跡である神明神社にたどり着いた時には、かなり薄暗くなってしまった。
それでも、道端から神明社の森の中を覗くと、暗いながらも、しっかりと残っている空堀が見られてラッキー(^^)。
釣瓶落としの季節でもあり、駐車場を探したり、神明社正面まで廻っている時間もなかったので、道端に車を置き、ガードレールを乗り越え、 強引に森の中に入って撮影。タッチセーフ!!失礼しました。
(2010/11/28訪れて)

ギャラリー

城址(神明社)全景
ようやく瀬木城址を見付けた時は、16:40で、かなり薄暗くなっていた(汗)。釣瓶落としの季節でもあり、 駐車場を探したり、神明社正面まで廻っている時間もなかったので、道端に車を置き、ガードレールを乗り越え、強引に森の中に・・・。

神社北西部に残る空堀と土橋
道端から神明社の森の中を覗くと、暗いながらも、しっかりと残っている空堀が見られてラッキー(^^)。

神社南西部の土塁
この土塁の中にも、空堀がしっかり残っていたが、この頃には益々暗くなり、撮影不可(泣)。

主郭跡に建つ神明社
最後に、神明社本殿の方へも廻った。この辺りにも土塁がよく残っていた。こんな順番で廻るのは初めてかも!?

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