三河 井田城(岡崎市)

井田城址全景

松平家譜代酒井家の居城、徳川四天王の一人酒井忠次は当家6代目

所在地

愛知県岡崎市井田町字城山
岡崎市を走る国道248号線「井田新町西」交差点を東へ進むと井田公園があり、その東に隣接する城山公園が城址。

形状

平山城(崖端城)

現状・遺構等

現状:城山公園
遺構等:亀井戸?、石碑、説明碑

満足度

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訪城日

2011/01/14

歴史等

井田城は、松平家譜代として代々仕えてきた酒井家の居城で、徳川四天王の一人、酒井忠次は6代目になる。
応仁(1467~1469)より天文年間(1532~1555)までの約100年にわたり、特筆される激戦が4回もあり、いわゆる 「井田野の合戦」といわれる。
この地は、岡崎城と大樹寺を結ぶ直線上にあり、 連携もよく、眼下は一望の平野が開け天然の堅塁としての地形を具備している。
『現地説明板他より』

現況・登城記・感想等

井田城址には、遺構は特になく、西側が切岸状になっているが、これは道路をつくる際に削られてできた地形かもしれない。 しかし城址は高さ7~8mの高台にあり、下から眺めると、城址らしい雰囲気もあるかな!?
公園の北西部には、城山稲荷と晴明白龍大神が祀られ、酒井忠次を輩出した酒井家の城にふさわしい非常に立派な城址碑と三河武士礼賛の説明碑 (晴明白龍大神縁起の碑)が設置されている。
ところで、説明碑にあった史跡「亀井戸跡」を確認するのを忘れてしまった(汗)。
(2011/01/14訪れて)

ギャラリー

公園には城山稲荷と晴明白龍大神が
公園の北西部には、城山稲荷と晴明白龍大神が祀られ、 酒井忠次を輩出した酒井家の城にふさわしい非常に立派な城址碑と三河武士礼賛の説明碑(晴明白龍大神縁起の碑)が設置されている。左側の鳥居の奥に城址碑が見える。

城址碑

三河武士礼賛の説明碑(晴明白龍大神縁起の碑)

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コメント

虹の澤(2012/04/26)

井田にお城(徳川家四天王酒井氏誕生の)があったのを知らずに市外から越してきました。
地名が魂場ともにめずらしいことお寺が多いこと徳川家の戦歴から戦国時代の古戦場跡地では思っておりましたがタクジロ-さんのサイトでやっぱりなぁと判明しました。
余談ですが家の中にいると背筋がぞっとするようになったのが越してきてからでして古戦場跡地が住居に適さないからなのでしょうか?
近くの大樹寺に家康さんが来てて桶狭間の合戦の折りご先祖様の墓の前で切腹しようとしていたのを知らずにのんきに桜を見に行き「ここが徳川家康のお父さんとお祖父ちゃんのお墓だからお参りしてこう」と子どもに言っておりましたっけ。
岡崎の町には関ヶ原の合戦のスター(江戸幕府閣僚発祥地)の足跡があちらこちらにあるのでたどってミーハー気分を味わえるのがおつです。江戸時代は三河武士が全国制覇してたので日本の歴史は三河武士に多かれ少なかれ影響されてますもんね!

タクジロー(2012/04/27)

虹の澤さま
当サイトへのご訪問とコメントをありがとうございます。
岡崎は、母の実家があったところでもあり、子供の頃にはよく行き、また、転勤で2年ほど単身赴任で住んでいたこともあります。
確かに、全国的に三河武士による影響は大きいでしょうね。
話は違いますが、岡崎は鰻が美味く、中でも、私は大樹寺近くにある「かも川」のうな丼が好きで、岡崎在住時代にはよく出掛けましたし、今でも、岡崎周辺の城めぐりの時に、いつも寄ります(*^_^*)。
関係のない話で、申し訳ありません( ̄ー ̄;。

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