尾張 勝幡城(稲沢市、愛西市)

日光川に架かる「嫁振橋東詰」に立つ城址碑と説明板等

信長の祖父信定が築き、織田氏が経済・軍事的に飛躍する基礎となった城

読み方

しょばたじょう

所在地

愛知県稲沢市平和町城之内
愛知県愛西市勝幡町墨田
【アクセス】
「那古良橋西信号」を西へ約150m行くと、左手に石碑と説明板等が立っている。また、その西を流れる日光川の東側堤を南へ約200m行ったところに、もう一つの石碑が建てられている。

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 宅地
【遺構等】 石碑(2ヶ所)、説明板

満足度

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訪城日

2011/11/18

歴史等

勝幡城は、永正元年(1504)頃に、織田信長の祖父信定が築いたと伝わる。
信定は、経済面に明るく、この地を津島湊と尾張国府(稲沢市)の松下間を往来の基軸とし、「人・物・情報」の大交差点として発展させ、やがて信秀・信長という織田3代が経済・軍事的に飛躍する基礎を築いた。
信定の子・信秀は、清洲城の三奉行の一人として勇名をはせ、のちに那古野城を今川氏豊から奪い、さらに、古渡城末森城を築き、勢いに乗じて西三河へも侵入した。
信秀から信長へと、この両代における織田氏の発展にともなって、規模の小さな勝幡城は廃城となった。
『「現地説明板」、「日本城郭大系9」他より』

現況・登城記・感想等

勝幡城といえば、信長の父信秀が、ここを拠点にして大活躍した城であり、興味深い。
今では宅地に埋もれて遺構は全く残っていないが、やはり、この辺りの人は、信長をはじめ、織田氏に対する敬慕の念が深いようで、町のいろんな所で「信長生誕を育む会」のポスターなどを見付けた。
また、立派な石碑が2ヶ所(日光川の畔の離れた場所)に建てられている。
今後、さらに「城の復元(信長幼少公園・仮称)」なども企画しているようだ。
尚、一般的に、信長は那古野城で生まれたとされているが、一説には、この勝幡城で生まれたとも言われているようだ。
(2011/11/18訪れて)

ギャラリー

勝幡町で見かけたポスター
勝幡駅前のスーパーの駐車場を拝借して、勝幡城址の石碑等を探しに行くと、町中で「信長生誕を育む会」のポスターなどを見付けた。やはり、この町の人は信長をはじめとする織田氏に対する敬慕の念が深いようだ。
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日光川に架かる嫁振橋東詰にたつ城址碑と説明板など
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城の復元(信長幼少公園・仮称)の模型図
城の復元(信長幼少公園・仮称)なども企画しているようで、城址碑の横に、ビニールが被されているので、見辛いがその模型図とその説明がされた板も立っていた。
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もう一つの城址碑
日光川の東側堤を南へ約200m行ったところに、もう一つの石碑が建てられている。こちらは「織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」と刻まれている。
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