美濃 大御堂城(大野町)

竹中半兵衛の幟が立ち並ぶ八幡神社

戦国時代の名軍師竹中半兵衛生誕の城

読み方

おおみどうじょう

所在地

岐阜県揖斐郡大野町公郷、八幡神社
【アクセス】
揖東中学校の北北西約500m。揖東中学校の北東側を走る道路を北西へ500mほど進むと、左手に八幡神社がある。八幡神社の北東一帯が城跡で神社には石碑などが立っている。神社に駐車スペースがある。
揖東中学校:大野町大字公郷3261-3、電話0585-32-0503

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 宅地他
【遺構等】 竹中重元墓、竹中半兵衛生誕之地の碑と説明碑、城要図碑、説明板

満足度

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訪城日

2011/11/16

歴史等

大御堂城は清和源氏の末裔である竹中氏の居城であったのは確かであるが、築城者、築城年代については明らかではない。
明応6年(1497)、竹中半兵衛の父重元(しげちか)は大御堂城で生まれ、永禄元年(1558)岩手信久を攻め、その居城岩手城(菩提山城)を奪って移り住み、大御堂城は廃城となった。
尚、半兵衛も天文13年(1544)9月に大御堂城で生まれたという。
『「日本城郭大系9」、「現地説明板&説明碑」』

現況・登城記・感想等

大御堂城は、揖斐川東岸に築かれていた城で、現在は公郷地区の住宅地となっていて城の遺構は何も残っていない。
八幡神社の道端に、「竹中半兵衛」と竹中氏の家紋「九枚笹」が染め抜かれた幟が立ち並び、境内に「竹中半兵衛生誕之地の碑」、「説明碑」、「城要図碑」が建てられている。当神社は、半兵衛の父重元が城内に建てたのを移したようだ。
実際に城があったのは、神社の北東部であるが、今は宅地などになり全く面影はない。
搦手曲輪の跡に建つ月真寺の墓所には半兵衛の父重元の墓がある。
八幡神社で写真を撮っていたら、地元の方が寄って来て、詳細に城の説明をしてくれ、重元の墓へも連れて行ってくれた。
いつも、城跡の場所を尋ねると「分からない」、よくて「何にも残ってないよ」と言われるのが関の山だが、やっぱり、竹中半兵衛は地元の誇りなんだろうね(*^_^*)。
(2011/11/16訪れて)

ギャラリー

大御堂城要図(現地案内碑より)
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八幡神社境内に立つ「竹中半兵衛生誕之地」と「半兵衛の由緒」が刻まれた石碑
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竹中半兵衛の由緒の碑
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八幡神社から城跡方面を
大御堂城が実際にあった場所は、八幡神社の北東部一帯である。今では、宅地などになり面影はない。
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大御堂城跡と竹中重元の墓の案内板
八幡神社の前の道路を2~300mほど北上すると、右手に「大御堂城跡」、「竹中重元の墓」への案内板が設置されている。
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大御堂城跡と竹中重元の墓
搦手曲輪の跡に建つ月真寺(写真中央)の墓所(左)には半兵衛の父重元の墓がある。この辺りは搦手曲輪跡になる。
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