伊勢 田辺城(いなべ市北勢町)

本丸と二の丸間の空堀

伊勢国司分家木造氏が小牧長久手の戦いで信雄と秀吉の和睦後に築き移った城

所在地

三重県いなべ市北勢町田辺304、熟人荘前の山林
デイケア「熟人荘」:0594-72-3739

形状

平山城(標高240m、比高差約30m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、土橋、模擬城門、標柱、陶器碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2010/11/30

歴史等

田辺城は、伊勢国司の分家・木造氏8代長政(具康)により築城された。
長政は木造城に居城していたが、天正12年(1584)に北畠(織田)信雄が羽柴秀吉と対立すると、戸木城を修理し6ヶ月にわたって籠城したが、同14年(1586)に信雄が秀吉と和睦したため、木造城戸木城は開城され、その後、長政はこの田辺城を築き移り住んだ。
長政は、天正18年(1590)に信雄が転封を拒んで失領すると、秀吉に召しだされて、織田秀信の家老として2万5千石を知行された。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では秀信に徳川家康の東軍につくように進言するが容れられず、秀信は岐阜城にて西軍に与し、東軍の福島正則や池田輝政と戦い、降伏した。
長政はその後、福島正則に2万石で仕えた。慶長9年(1604)に死去。
尚、木造氏の系図では具康と長政には別人説があり、同一人物とする説もある。
『「日本城郭大系10」、「現地説明板」、「ウィキペディア」他参照』

現況・登城記・感想等

田辺城は、南方の本丸と二の丸を中心とした主郭部と北方の水の手曲輪や家臣屋敷地等の地区に分かれる。
主郭部周辺の土塁・空堀・土橋等の遺構は、実に良好に残っている。
本丸は、約50m平方のほぼ正方形で、周囲を土塁と空堀で囲まれている。土塁の高さは曲輪内から約2mあり、空堀は幅約5m、深さ約2m(土塁上からは約4m)ほどあり、見応えがある。
北西・南西・南東の3方に虎口があり、いずれの虎口へも土橋を渡って入るようになっており、土塁や空堀との光景がかっこいい。
南西部の虎口は二の丸へ通じている。二の丸は馬出しのような狭い曲輪だが、土塁と空堀が良好に残っている。
この城址で面白いのは、いろんな箇所に狸やイノシシなどの陶器が置かれていることだ。
尚、北方の家臣屋敷地等の水の手曲輪や屋敷地地区は、時間も遅くなり薄暗くなってきたので、来春にでも出直すことにした。
(2010/11/30登城して)

ギャラリー

縄張略図(現地説明板より)
田辺城は、略図のように南方の本丸と二の丸を中心とした主郭部と北方の水の手曲輪や家臣屋敷地等の地区に分かれている。

模擬門と説明板と城址碑(左の方の標柱)
熟人荘の駐車場前に模擬門が建てられ、その左に説明板、さらにその左の方の土塁上に城址碑(標柱)が立っている。説明板には、上写真のような縄張略図も載っている。何故か、門の両側脇下や土塁上には狸の焼き物が・・・。城跡へは、門をくぐって入って行く。

大手口へ
門をくぐって入ると、いきなり左手に熊?イノシシ?の焼き物が現われる(苦笑)。正面奥が大手虎口で、手前両側には喰い違いの空堀があり、土橋が架かっている。

外堀
この良好に残る空堀は、上写真の右側の空堀で、縄張略図の外堀にあたる。

本丸西角の空堀
道なりに進むと、右手に先程より規模の大きい空堀が見えてくる。本丸周囲西角部分の空堀である。ここまで明瞭で良好に残っている空堀が残っているとは想定していなかったので嬉しくなってきた。

本丸虎口
空堀沿いの道を進むと、右手に本丸北西部の虎口へ出る。本丸には、北西・南西・南東の3方に虎口があり、いずれの虎口へも土橋を渡って入るようになっており、土塁や空堀との光景がかっこいい。この写真の土橋両側の空堀も良好に残っている。虎口の奥が本丸で、東屋が建てられている。

本丸
本丸北西部の虎口から本丸内を撮影したものである。本丸は約50m×50mのほぼ正方形で、周囲には高さ約2mの土塁がめぐっている。

本丸から二の丸へ(本丸南西部の虎口)
本丸南西部には、二の丸へ通じる虎口がある。写真奥が二の丸である。二の丸は、馬出しのような狭い曲輪である。二の丸にも写真奥に見えるように、土塁が良好に残っている。

二の丸から本丸南西部の虎口を
二の丸から本丸虎口方面を撮ったもので、虎口前には土橋、その両側には空堀が良好に残る。

本丸南側の空堀
上写真の土橋の右側の空堀である、この辺りは、かなり深く、堀底から土塁上まで5m近くあるだろう。尚、上写真の土橋左側の空堀がTOP写真の空堀である。

本丸東角の空堀
本丸東の空堀外側の土塁は、かなり細くなっている。私は、この写真のように堀の角部分の光景が好きですが、どうでしょうか?

本丸北角の空堀と本丸土塁
この本丸北の角の空堀と土塁の光景も良いと思うけどどうでしょうか?

狸の焼き物
何ともとぼけた顔だ(笑)。この城の至る所に、狸やイノシシ、更には城址碑等の焼き物が置かれていた。いなべ市北勢町が陶器の名産地とは聞いた事がなかったが、誰か、熟人荘の人で陶芸が趣味の人がいるのだろうか?まあ、面白いといえば面白いが・・・(苦笑)。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント