戸木小学校に立つ城址碑と説明板、その向こうには空堀
木造氏9代具政が築いた城、秀吉勢蒲生氏郷に攻められ6ヶ月に及ぶ籠城戦が
別名
戸木御所
所在地
三重県津市戸木町880、戸木小学校周辺
戸木小学校津市戸木町880、電話059-255-2542
形状
台城(標高20m、比高12m)
現状・遺構等
【現状】 戸木小学校、雑木林、宅地
【遺構等】 空堀、土塁、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2011/08/16
歴史等
戸木城(へきじょう)は、天文23年(1554)木造城主の木造氏9代具政が家督をその子長政に譲り、隠居所として築き、ここを戸木御所と称した。その後、天正12年(1584)に長政が増強・修復して完成した。
永禄12年(1554)具政・長政父子は、伊勢に侵入してきた織田信長から南伊勢の案内を頼まれて信長に属し、その後、北畠家を継いだ信雄(信長の二男)に仕えた。
本能寺の変で信長が斃れた後の天正12年(1584)、信雄と秀吉の対立により、秀吉の軍勢蒲生氏郷に攻められた。
木造氏一族は戸木城に籠城した。将兵数百人での木造勢の籠城戦は約6ヶ月にも及んだが、信雄と秀吉の和睦が成立し、長政は城を明け渡して田辺城(現いなべ市)に移った。
落城後は、一時、現在の庄田町(津市)に勢力を持っていた中川庄蔵が預かっていたが、慶長年間(1596~1615)に廃城となった。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」より』
現況・登城記・感想等
小学校に石碑が立っているだけだろうと、全く期待もせず訪れたが、小学校の北側が高さ5~6mほどの台地になり、石碑の向こうの竹藪の中に深さ約5m、幅7~8mほどの結構規模の大きい空堀を見付けて得した気分に・・・(*^_^*)。
雑木林の中にも、土塁等の遺構が残っていそうだったが、夏真っ盛りで、薮も強烈なようだったので、今回は入って行くのは断念した(/。ヽ)。
(2011/08/16訪れて)
ギャラリー
小学校北側の台地
空堀