朝日町歴史博物館から柿城跡を望む
室町幕府奉公衆佐脇氏の居城
所在地
三重県三重郡朝日町柿
【アクセス】
朝日町歴史博物館の南西約150m、今のところはまだ、城跡傍にも駐車スペースはあるが、私は朝日町歴史博物館の駐車場に置いて歩いた。
朝日町歴史博物館:朝日町柿2278、電話0593-77-6111
形状
平山城(崖端城)、標高40m、比高差約20m
現状・遺構等
現状:城址公園、宅地
遺構等:曲輪、土塁、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2010/12/02
歴史等
柿城(かきじょう)は、延文5年・正平15年(1360)に周防の人佐脇宗喜が伊勢守護仁木義長に属し、その子宗政が築城したといわれる。
佐脇氏は室町幕府将軍に仕えた奉公衆で、北伊勢の国人一揆である十ヶ所人数にも名を連ねている。
弘治3年(1557)、近江六角義賢の家臣小倉三河守が当城を攻めたが、守りが固くて落ちず、和睦と偽って城外に誘い出し、虚に乗じて火を放ち、落城させたといわれる。
尚、この時、柿城主は神戸城主神戸下総守に属していた。
『「日本城郭大系10」、「現地説明板」より』
現況・登城記・感想等
柿城は、東海道を見下ろす標高40m前後、比高差20m前後の丘陵先端部に築かれている。
朝日町歴史博物館を目標に運転し、JR関西本線沿いの道から朝日町体育館角を曲ると、左手のテニスコート越しに如何にも城郭っぽい柿城跡の土塁が聳えるのが見えてくる(「聳える」は、ちょっと大袈裟?)。
つい最近までは、山林(竹薮)だったようだが、今では周囲はすっかり開発されて新興住宅地になり、本丸土塁だけが取り残され、整備された公園になっている。
本丸上には、一部土塁が残り、展望台や東屋が建てられている。展望台からの伊勢湾(伊勢平野・東海道)方面の眺望はよく、遠く四日市コンビナートの煙突が立ち並んでいるのが見える。
(2010/12/02登城して)
ギャラリー
柿城縄張図(現地説明板より)
柿城は、東海道を見下ろす標高40m前後、比高差20m前後の丘陵先端部に築かれている。北から東面、南面にかけては自然崖になっており、北西側と西側は堀で断ち切っていたようだ。
左手に柿城跡が
朝日町歴史博物館を目標に運転し、JR関西本線沿いの道から朝日町体育館角を曲ると、左手のテニスコート越しに如何にも城郭っぽい柿城跡の土塁が聳えるのが見えてくる(「聳える」は、ちょっと大袈裟?)。「テニスコートのネットが邪魔!!」と思うのは私だけ?
北東部
朝日町歴史博物館に駐車して歩いて来ると、この北部(手前)から北東部(左奥へ)の土塁のところへ出る。
北西部
北西部へ廻り、ここから写真右へ回って行く。
西面
まだ整備したての新米らしく、木々はおろか、草さえ僅かしか生えていないのが初々しい?
Ⅱ郭
Ⅱ郭跡には、縄張図付きの説明板が立っている。坂道の上に見えるのは、本丸跡に建てられている展望台。
本丸の土塁
本丸には、西側から北にかけて3ヶ所断続的に土塁が残っている、写真で見ると、まるで盛土のように見えるが、本物は、それなりに土塁っぽい(笑)。
本丸
本丸に建つ展望台上から本丸を撮ったものである。東屋の左と奥に土塁が確認できる。
眺望
展望台からの伊勢湾(伊勢平野・東海道)方面の眺望はよく、遠く四日市コンビナートの煙突が立ち並んでいるのが見える。右下の腰曲輪はⅡ郭。