伊勢 大木城(員弁郡東員町)

大木城東側の空堀

吾妻鏡に散見する員弁行綱の居城、後に大木氏の居城に

所在地

三重県員弁郡東員町大木
【アクセス】
城跡は明法寺の西約300mほどのところにあるが、非常に狭い道なので、明法寺のすぐ南東の大木神社の裏(北側)に駐車して歩いて行くことをお薦めする。何度も曲がり、説明が難しいが、兎に角、西へ向かえば石碑のあるところへ出ると思います。スミマセン。

形状

平山城(崖端城)

現状・遺構等

現状:雑木林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、石碑

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2010/12/03

歴史等

築城年代については定かではないが、元久3年(1206)頃には、「吾妻鏡」に散見する員弁郡司進士の員弁三郎行綱が居城したという。
その後、 永禄年間(1558~70)には、大木安芸守(駿河守とも)・大木舎人助らが城主となったという。
織田信長の北伊勢侵攻の際に、大木城主は金井城主種村氏と共に、降伏したが、天正4年(1576)に長島城へ出頭を命ぜられた時、種村秀信が謀殺されたことを知り、西国へ落ち、のちに肥後熊本城主細川家に仕えたといわれる。
『日本城郭大系10より』

現況・登城記・感想等

大木城は、員弁川東岸の丘陵を利用した立地に築かれている。
城跡の南側土塁下の細い道端に石碑が立っている。
城跡は強烈な藪で、とても入って行ける状態ではないが、石碑の東の方の畦道を入って行くと、自然崖や大規模な空堀で固められた堅固な城であるのが分かる。
遺構は、かなり良好に残っていそうだし、あと僅かでも整備されたら、再登城したい城跡だ。
(2010/12/03訪れて)

ギャラリー

城跡南側土塁下に設置された石碑

城跡北東部角の空堀
城跡は強烈な藪で、とても入って行ける状態ではないが、石碑の東の方の畦道を入って行くと、自然崖や大規模な空堀で固められた堅固な城であるのが分かる。

石積み?
石碑の近くの土塁に、このような石積みが認められたが、往時のものかどうかは分からない。

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