近江 膳所城(大津市)

家康の命で、築城の名手・藤堂高虎の縄張りによる天下普請の水城

別名

望湖城、石鹿城

所在地

滋賀県大津市本丸町

形状

琵琶湖畔の水城(湖城)

現状・遺構

現況:本丸付近の地形がわずかに残り膳所城址公園、二の丸跡は浄水場
遺構:本丸跡、天守台跡、石垣

満足度(10点満点)

4点

歴史等

徳川家康は関ヶ原合戦後の、慶長6年(1601)大津城を廃し、 東海道・琵琶湖の押さえとして、大津城の用材を用いて膳所城を築かせた。 大津城の天守は彦根城に移築され、 城門等は膳所城に多く移築された。縄張りを藤堂高虎、普請奉行を八人の奉行があたる天下普請である。慶長7年(1602)、 城主には大津城主・ 戸田一西を移封した。以来53年間に、戸田氏,本多氏,菅沼氏,石川氏と替わり、慶安4年(1651) 本多俊次が再封されて以後は本多氏が13代続き、明治3年に廃城となった。

訪城日

2005/06/04

現況・登城記・感想等

琵琶湖に面したきれいな城であったろうことがよく分かる城址であった。天守閣跡が残っているが、 湖面よりわずか2m弱しかないような高さで本当にこんな所に建っていたのかと疑問に思うような場所にあった。城域そのものも含めて、 現在ではほとんど窺い知れないところも多いことを差し引いても、私には守備のし易い城には思えなかった。関ヶ原の合戦が終わったばかりで、 必ずしもまだ安定しているとは思えない時代であるのに不思議である。また、この城址公園は折角きれいに整備されているのに、 説明板が全くないのは何故だろう?
(2005/06/04訪城して)

ギャラリー

天守閣跡

天守台石垣

膳所城琵琶湖水辺

石地蔵
(比叡山山内から引き摺り下ろし、坂本城・大津城・膳所城の礎石等に使われた)

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