浅野幸長の従兄弟・忠吉が築城、江戸期は紀伊藩付家老・水野氏10代の居城
別名
丹鶴城・沖見城
所在地
和歌山県新宮市新宮字丹鶴7688-2(丹鶴城公園)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:本丸等主要部は丹鶴城公園
遺構等:曲輪跡、本丸・鐘の丸・松の丸等の石垣、堀、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
1997/03/22
歴史等
丹鶴山付近は平安時代から新宮における要衝の地であった。
関が原の戦の戦功により浅野幸長が和歌山城へ入ると、
幸長の従兄弟・忠吉が新宮領を与えられ、慶長6年(1601)和歌山の支城として、
熊野別当の別邸や東仙寺などがあった熊野川沿いの丹鶴山に城を築いた。
元和元年(1615)の一国一城令により取り潰されたが、後に許され元和4年(1618)再び築城に着工する。
翌年完成を見ずに浅野家は安芸・
広島へ移封され、替わって徳川頼宣が和歌山城へ入り、
その付け家老・水野重仲が3万5千石で新宮城に入り築城を再開した。水野氏が10代続き明治に至る。
『案内板参照』
現況・登城記・感想等
本丸跡が丹鶴城公園になっており、すぐ下の所まで車で行ける。
打ち込みハギや切り込みハギの石垣がすこぶるいい状態で残っていて、しかも綺麗であり、嬉しくなってくる。本丸からは真下に熊野川が見え、
川上の方には熊野の奥深い山々が見える。また、対岸には鵜殿城址が見え、
川下の方向には熊野灘の向こうに太平洋の青々とした海原が横たわっている。まさに絶景の地である。石垣にしても、
本丸からの眺望にしてもここまで素晴らしいとは想像もしていなかった。
それと何よりも、新宮はマグロ・ウニ等の魚介類は勿論、熊野牛も最高!そして、名物の「めはりずし」・「さんまずし」も美味い。
(1997/03/22登城して)
ギャラリー

本丸からの眺望
