良好に残る本丸虎口の石垣
南朝方の山岳武士の拠点、一宮氏が居城、戦国時代に長宗我部元親が占拠
所在地
徳島県徳島市一宮町城山
形状
山城(標高144m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪跡、石垣、竪堀、倉庫跡、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2002/03/08
歴史等
阿波一宮城は、南北朝時代、南朝に味方していた山岳武士の拠点であり、一宮氏が長年居城としていたが、天正10年(1582)12代・
成祐(成助)が長宗我部元親に謀殺され、一宮氏は滅亡し、長宗我部氏に占拠された。
その後、天正13年(1585)豊臣秀吉が四国を平定し、蜂須賀家政が阿波を与えられ最初に入城したのが一宮城であった。翌年、
家政が徳島城へ移ってからは、
その支城として重臣・益田長行に守備させたが、元和元年(1615)の一国一城令により、寛永15年(1638)廃城となった。
『現地説明板参照』
現況・登城記・感想等
徳島市内からタクシーで乗りつけたが、料金も時間も結構掛かった。当然タクシーの運転手さんも知らなくて、住所と城址探しの感に頼り、
しゅっぱ~つ。巡礼のお遍路さんを何人も見かけたと思ったら、四国88ヶ所霊場13番大日寺があった。
そしてその向かいの一宮神社のところに登城口を見つけた。タクシーに待っててもらい、いざ登城。
登城口からの石段はよく整備されている。本丸までは15分ほどであるが、途中、倉庫跡と才蔵丸跡・明神丸跡の曲輪がある。
本丸は大きくないが、石垣がよく残っており、結構見応えがある。
登城道では、誰一人会うことがなく、山の静けさの中で虫の音や鳥の鳴き声がひっきりなしに聞こえてきた。
(2002/03/08登城して)
ギャラリー
阿波一宮城図
登城口
本丸虎口
本丸
本丸西南隅の石垣