本丸跡に建つ模擬天守
松浦氏12代152年の居城、山鹿流城郭
別名
亀岡城
所在地
長崎県平戸市岩の上町亀岡公園
形状
平山城(標高・比高50m余)
現状・遺構等
現状:亀岡公園
遺構等:本丸跡に模擬天守、二の丸跡に乾櫓・見奏櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓(模擬)、二の丸に現存北虎口門(櫓門)、現存狸櫓(単層)、
現存土塀、石垣、堀、曲輪跡、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
1992/11/25
歴史等
松浦氏26代・隆信は豊臣秀吉の島津征伐に従軍し、勲功を上げ松浦6万石の基をひらいた。
慶長4年(1599)に亀岡の地に「日の岳城」を築いたが、同12年(1607)、徳川幕府に対する韜晦策か、城を自焼し、山の中腹に
「御館(居館)」を造営した。
29代・鎮信が幕府に築城を申請し、次の代の棟のときの宝永元年(1704)から4年がかりで城はなった。
再建にあたっては山鹿素行の弟の義昌が築城の指導をし、山鹿流兵法に基づく縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、
平山城では唯一の山鹿流による城郭である。
その後、松浦氏が12代152年在城して明治を迎えた。
『日本城郭大辞典(新人物往来社刊)参照』
現況・登城記・感想等
平戸大橋の手前からみる平戸の景色は最高である。真っ赤な平戸大橋とその向こうに見える平戸島に生える(映えるでもある)
木々の美しさ。その下を流れる海峡の澄んだ青さ、そしてその海峡を行き来する何艘もの「ポンポン船?」。その風景は、
日本における他の地では絶対に見られないのでは? まるでスペインか地中海の風景のようである。
平戸城も海越しに見る景観が最高である。ただ、残念ながら山麓に結構大きな建造物がその景観に不釣合いで邪魔である。
天守や多くの櫓が復興(模擬?)されているだけでなく、現存の櫓門や土塀・石垣等々も残っており結構見応えもある。
(1992/11/25登城して)
ギャラリー
遠景①(平戸瀬戸越しに)
遠景②
遠景③(手前山麓の建物が邪魔で気になる)
天守閣
懐柔櫓
何とも妙な名前であるが、ほかの櫓の名前も変った名前がついている。
土塀と狭間