守山城址公園(本丸跡)に建つ「守山一族終焉之碑」
有馬氏に叛いた在地豪族守山一族終焉の城
所在地
長崎県雲仙市吾妻町古城名、守山城址公園
形状
平山城(標高20m)
現状・遺構等
現状:守山城址公園ほか
遺構等:曲輪跡、堀切?、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2003/12/19
歴史等
守山城は戦国の頃、在地土豪の守山氏によって築城され、代々、城主は宮内(くない)と称し有馬家の外城を守る重臣であったが、
永禄6年(1563)有馬家に叛き、伊佐早の西郷氏や神代
(こうじろ)氏に加担することになり、天正の頃、有馬家の攻撃受け、守山氏は一族郎党、城を枕に討死し廃城となった。
また、当城は切り通しの古城とも呼ばれ、高地の中央を掘り起こして本丸と二の丸をつり橋で結んでおり、
庄の台地には出城としての向城があった。
「沖田畷の戦い(天正12年・1584)」の後、一時、島津軍の武将や有馬晴信が滞在したこともあった。
『現地説明板から』
現況・登城記・感想等
日野江城へ向かう途中に案内板を見つけたので寄ってみた。
城跡は、駐車場から少し登った低い丘の上に守山城址公園として本丸部分が一部残っており、「守山一族終焉の碑」が建っているだけである。
城址碑の裏の道が堀切跡であろうか?
(2003/12/19)