武蔵 伝木曽殿館(嵐山町)

木曽義仲誕生の地と伝わる班渓寺、右には「義仲誕生之地」の碑

木曽義仲誕生の地

所在地

埼玉県比企郡嵐山町鎌形1907(班渓寺一帯)
班渓寺:電話0493-62-2350

形状

現状・遺構等

現状:班渓寺、雑木林
遺構等:表示板、班渓寺の説明板、「義仲誕生之地」や「義仲顕彰」の石碑等

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2008/03/09

歴史等

源義賢が大蔵館を構え、 鎌形のこの地には下屋敷(木曽殿館)を設け、小枝御前を住まわせて、生まれたのが駒王丸(のちの木曽義仲)である。
義賢は源氏の棟梁源為義の次男で、頼朝の叔父にあたる。義賢は、当地を拠点として武威を高めたが、久寿2年(1155)8月16日、 武蔵国をめぐる秩父一族と源氏同士の勢力争いから源義朝等との合戦が行われ、義賢は義朝の子で甥の悪源太義平に討たれた。
義賢の次男で、当時2歳の駒王丸(後の木曽義仲)は畠山重能に助けられ、斎藤実盛のはからいで信濃国木曽に逃れ、 乳母の夫中原兼遠により養育された。育った地名から木曽義仲と称した。
『「現地説明板」、「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)」より』

現況・登城記・感想等

班渓寺近辺が伝木曽殿館跡で、寺の門の横に「木曽義仲公誕生之地」と刻まれた石碑が建つ。境内の北東、道路沿いには「伝木曾殿館跡」 という表示板も建てられている。
すぐ近くにある鎌形八幡神社には義仲産湯の清水跡もある。どちらも遺構は残っていない。
(2008/03/09訪れて)

ギャラリー

菅谷館跡大蔵館跡など付近の地図  ~クリックにて拡大画面に~

班渓寺の北東道路沿いにたつ表示板

班渓寺の前にたつ「木曽義仲公誕生之地」の碑

境内に設置された「木曽義仲公顕彰碑」
木曽義仲の生い立ちからの生涯が結構詳しく刻まれている。

㊧鎌形八幡神社の「義仲産湯の清水跡」㊨「木曽義仲産湯清水」の碑
清水の裏(左写真の奥の石垣一段目の上)には、右写真の石碑がある。
 

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント