御殿跡に東金高校を開設時に植えられた百年桜、桜の下には説明板
徳川家康の鷹狩時の宿泊のために造られた御殿
所在地
千葉県東金市東金1410(東金高校)
東金高校:電話0475-54-1581
形状
御殿
現状・遺構等
現状:東金高校
遺構等:説明板
満足度
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訪城日
2009/03/01
歴史等
東金御殿は、徳川家康による鷹狩の命を受けた佐倉城主土井利勝が、
慶長18年(1613)から翌年にかけて東金代官嶋田伊伯を造営に当たらせ築いた。
この御殿は、船橋-東金間に造られた御成街道の終着点にあり、東金辺りでの鷹狩を行なう将軍(大御所)の宿泊施設であった。
玄関・広間・坊主部屋・小姓部屋・書院・鉄砲部屋・弓部屋・老中部屋・台所などの部屋、別棟には鷹部屋・長屋・大番所などが建てられた。
また、小池の拡張工事も行なわれ、谷池(御殿前池=八鶴湖)と上池に分けられたといわれる。
寛永7年(1630)、大御所秀忠の御成りを最後に鷹狩が行なわれなくなり、その後、寛文11年(1671)
に東金が幕府直轄領から福島の板倉藩領となり、御殿は取り壊された。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
東金御殿跡の敷地には東金高校が建ち、すぐ隣の本漸寺の土塁に東金城址説明板と並んで説明板が立っているだけである。
高校の土塁には、明治41年に東金高校が開設された時に植えられたという百年桜が並んでいる。
(2009/03/01訪れて)
ギャラリー
説明板
東金御殿跡の敷地には東金高校が建ち、遺構は残っていない。すぐ隣の本漸寺の土塁に東金城址説明板と並んで説明板が立っているだけである
遠景
八鶴湖の東岸から撮ったものである。写真左側の建物が御殿跡に建つ東金高校で、右側が本漸寺で、
背後の山が東金城址のある御殿山。