二郭南隅の折れのある土塁
臼井氏一族が和良比(蕨)氏を称し居城
別名
蕨城
所在地
千葉県四街道市美しが丘1丁目21
【行き方】
四街道駅を約500m南下した堀込交差点の南西角の段丘上が城址。尚、近くに駐車場がないので、私は住宅地の中で広めの道路脇に停めた。
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城址公園、宅地他
遺構等:土塁の一部、空堀の一部、曲輪の一部、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2009/10/24
歴史等
和良比堀込城のある現四街道市は鎌倉時代には千葉常胤の所領千葉荘あるいは千葉北荘の一部と考えられている。
室町時代には千葉氏一門の原氏の臼井荘の支配下に属し、臼井城を本拠とした臼井氏の一族が、
当地・臼井庄和良比を領して和良比(蕨)氏を称し居城したと推定される。
この一帯は16世紀前半、古河公方と小弓公方の抗争が激化する頃に現れる「蕨城」は、埼玉県の「蕨城」
でなく当城であると考えられており、小弓公方勢の北進基地であったようだ。
その後、一時的に里見氏の城として使われていたようである。しかし、それ以降の歴史については廃城時期も含め不明である。
現況・登城記・感想等
和良比堀込城は比高10mほどの舌状台地先端に築かれた城であったようだが、城のあった丘の大半が吹っ飛んで、
すっかりニュータウン化してしまい、二郭と馬出郭のほんの一部だけが残るという無残な姿になっている。
それでも、東京通勤圏の駅のすぐ近くにありながらも、城址公園として残され、僅かな遺溝ではあるが見学できるのは有難いのかも?
(2009/10/24登城して)
ギャラリー
航空写真(昭和61年9月撮影) 現地説明板より
白枠内が現存区域である。城のあった丘の大半が吹っ飛んでしまったのが分かる。
城址を仰ぎ見る
四街道駅から約500m南下した堀込交差点の南西角の段丘上に僅かに残された城址が見える。説明板
(上写真参照)によると、この交差点周囲も城址であったようだ。
公園入口
台地上に造成された新興住宅街の先端部に小さな公園として残っている。右が馬出し土塁、左奥が二郭の土塁。
馬出し土塁
公園内に入って行くと、右側に馬出しの土塁がきれいに整備され残っている。
馬出し(入口から)
公園内に入って正面が馬出しになる。左奥に二郭の南隅の土塁が見える。右は上写真の土塁。
馬出し(内側から)
右が二郭の土塁。奥が公園入口にあたり、左奥が馬出し土塁である。
二郭西側の二重土塁と空堀
二郭の西側の空堀とその両側の二重土塁は三分の一ほど残っている。
写真の空堀の奥は丘ごと削られてしまって跡形もない。
二郭
二郭は7~8割は丘ごと吹っ飛んでしまい、今では僅か15m四方程度だ。それでも、残ったのが南角の部分で、
折れのある土塁が結構かっこいいのがせめてもの慰め?
二郭虎口
馬出しから二郭への虎口であるが、片側の土塁は削られて残っていない。石垣は当然ニセモノ(失礼!
公園造園時に造られたもの)。右側が二郭。