古城小学校の校内に建つ2基の城址碑
春日山城を廃して築かれた平城も僅か7年で廃城
所在地
新潟県上越市港町(古城小学校敷地内)
形状
平城
現状・遺構等
現状:古城小学校・市街地
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2006/05/01
歴史等
福島城は慶長12年(1607)に完成され、同19年(1614)に廃城となった。わずか7年間の存在でしかなかったが、
室町時代から江戸時代に移る当時の築城形式をしめす典型的な大城郭である。その間に城主は堀忠俊・松平忠輝の二代にわたったが、
いずれも一国一城の越後大守であった。
慶長8年(1603)、徳川家康が江戸幕府を開いてから、天下の諸侯は春日山城のような山城の必要がなくなり、
堀氏も福島城へ移ったのである。
慶長15年(1610)、堀氏が改易となり、徳川家康がわが子・松平忠輝を信州・川中島から移し75万石の福島城主とした。しかし、
忠輝も4年後、福島城を廃し高田へ新城を築いて移ってしまった。
城を移した理由は明らかではないが、毎年、雨期になれば関川・保倉川が氾濫するからだという。
まことに短命な城であったが、関川・保倉川間の地域を占める非常に規模の大きな城であった。
『現地説明板から』
現況・登城記・感想等
隆慶一郎の「捨て童子・松平忠輝」を読み、松平忠輝に非常に興味を持っていたので、
小学校内の石碑しか残っていないことを知りながらも、どんな所か訪ねてみた。
見事に何も残っていないのは残念ではあるが、それなりに納得・・・・。それにしても、これだけ大規模な城を、
たった7年で廃城にしてしまうとは・・・・。
(2006/05/01訪城して)
ギャラリー
縄張略図(現地説明板より)
城址碑