館跡とされる満照寺と背後に屋代城址(左上)
村上氏の老職・屋代氏の館
所在地
長野県千曲市小島3215、満照寺
満照寺:電話026-272-5701
形状
館
現状・遺構等
現状:満照寺
遺構等:全くなし
満足度
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訪城日
2009/11/23
歴史等
屋代氏は代々、葛尾城主・
村上氏の老職にあり、室町期には一重山の北側一帯を所領としており館を構えていたようで、現在満照寺の建つ一帯が館跡地とされている。
戦国時代の天文22年(1553)4月、武田信玄は村上義清の拠点葛尾城を攻め、
村上氏は塩田城に逃走した。この戦乱の中で、屋代政国・秀正父子は武田方に転身した。そして同年8月、新たに荒砥城を与えられ、
信濃先鋒として武田氏に従った。
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、上杉景勝の軍門に下り、山浦(村上)景国を海津城将に、
屋代秀正はその副将に任命された。
しかし、同12年(1584)4月秀正は家康に内通して上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に籠ったが、
上杉軍に攻められ落城し逃亡した。
以後、屋代氏は徳川氏の重臣として、安房国北条で1万石を与えられた。
『「荒砥城二の郭再現兵舎内展示物」、「パンフレット」、「屋代城址説明板」ほか参照』
現況・登城記・感想等
屋代氏館跡に建つ満照寺は屋代政国による開基で、政国の祖父満照にちなんで「満照寺」とつけられたそうだ。
遺構等は全く残らず、碑や説明板の類いもない。
屋代駅から寺へ辿り着くまでの曲がりくねった道や袋小路の多い道が、その名残りといえるだろうか?
(2009/11/23訪れて)