信濃 竹山城(長野市)

象山山頂の主郭

村上氏氏族・清野氏の分派西条氏の居城か?

別名

西条城

所在地

長野県長野市松代町、象山
【行き方】
象山神社の南側にある駐車場前を西へ100mほど進み突き当りを右折し、またすぐ左折すると正面が「象山コミュニティーの森」で、 案内板が設置されている。ここから遊歩道を象山山頂(主郭跡)まで15分弱。象山神社の駐車場(10台以上可)を拝借。
象山神社:松代町松代1502、電話026-278-2461

形状

山城(標高476m、比高124m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:郭、石垣、堀切、竪堀

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2009/11/23

歴史等

築城者は明らかではないが、村上氏支族・清野氏の分派であった西条氏の居城であったと言われる。
戦国時代には川中島地方を支配していた村上氏の配下にあり、北国街道の多田越えを監視する役目を負っていたと思われる。 一説に村上氏配下の清野氏が鞍骨城を本拠として、鷲尾城、 雨宮城をもって西南の、竹山城をもって東の守備に使用したという。
西条治部少輔は、天文22年(1553)葛尾城を追われた村上義清に従って越後に逃れたが、 翌年には武田信玄に仕えた。
海津城築城後の武田氏支配下では、同城を取り囲むネットワークの一翼をになったものと推測される。
武田氏滅亡後は越後の上杉景勝により鞍骨城周辺は制圧されていたので、竹山城も上杉氏に掌握されていたものと考えられるが、 廃城の時期などはよくわかっていない。
『更科埴科地方誌他参照』

現況・登城記・感想等

竹山城址は城跡としてよりも、太平洋戦争末期に城跡の真下に掘られた松代大本営地下壕の存在の方が多分有名だろう。
竹山城は、鞍骨山系から松代へと半島状に突き出た山にあり、3つの郭からなる連郭式山城である。
海津城から竹山城北麓までは、わずか500mである。当然、信玄は海津城築城後、 ネットワークの一つとして重視したことであろう。
象山神社の西にある「象山コミュニティーの森」の案内板のところから遊歩道を象山配水池(三郭跡?)・二郭跡を経て象山山頂(主郭跡) まで15分弱である。
主郭からの眺望は、多少木々の枝に遮られているものの割り合い良く、西方には妻女山や天城城、北東には寺尾城、 金井山城が見える。
かつては石垣が全周する城であったといい、今でも所々に石垣が残存する。中でも主郭周囲には、多くの石垣が残存している。尤も、 それらの石垣は、いずれもそれほど高いものはなく、高いものでも2mほどのものであったようだ。
(2009/11/23登城して)

ギャラリー

登城口
象山神社の南側にある駐車場前を西へ100mほど進み突き当りを右折し、またすぐ左折すると正面が 「象山コミュニティーの森」で、案内板が設置されている。橋を渡り、右の方へ遊歩道を行く。

遊歩道と三郭
案内板に従い遊歩道を登り、象山配水池(写真右上)下を通って行く。配水池のある場所は三郭跡のようだ。

山道に
配水池の南端まで登り切ると、そこからは山道になる。それほど急坂でもないが、 幾重にも落ち葉が積もっていてやたらと滑るのでまいった!!周りには石垣や石がゴロゴロ転がっている。 公園化や地震対策のために最近築かれた石垣もあるようだ。右写真左側の石垣はともかく、左写真の石垣は、その類いのものだろう。
 

二郭
しばらく登ると東西20m、南北50mほどの細長い削平地(二郭だろうか?)へ出る。 正面の小高い部分が主郭である。右奥の高い山が鞍骨城跡であろうか?

東屋
二郭の北端(上写真手前)には櫓台跡のような土壇があり、東屋が建っている。

主郭へ
二郭の北端には石碑があり、その裏から主郭への道がある。 狭い削平地が塁段になっていたりするが腰曲輪であろうか?また、この辺りから、石垣の一部や石が多くなる。

石垣
少し登ると、かなりまとまって残存する石垣が見えてくる。その上を見上げると角張った主郭の形が見える。

主郭北側下の石垣
さらに登ると、かなり崩れて危ない石垣も・・・。このすぐ上が主郭である。

主郭虎口への石垣
いよいよ主郭への虎口である。写真右端から石垣の上を通り主郭へと入って行く。

主郭の石垣
主郭には北側に腰曲輪があり、その境目の段に石垣が築かれている。TOP写真もそうであるが、 完全な逆光で写真がとにかく撮り辛かった。

主郭腰曲輪
主郭からすぐ北の腰曲輪を撮ったものである。石段がしっかり残っている。

主郭南側の石垣
主郭は、南側にも虎口があり、その横の石垣が残存している。

主郭西側の石垣
主郭西側は、かなりの藪になっていたが強引に入って行ったら、石垣がよく残っていた。この石垣は、 主郭南側の石垣(上写真の石垣)へと続いていたようだ。

主郭から妻女山方面の眺望
主郭からの眺望は、木々の枝にかなり遮られてはいるものの結構よい。特に、西方面は開けていて、 すぐ近くに妻女山が見える。正面やや右の低い山部分が妻女山で、左の高いところが天城城となる。さらに左へ登って行くと鞍骨城となる。

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コメント

富岡武蔵(2009/11/27)

竹山城には登城していますが、こちらの写真を見ていますと見逃したところもあるようです。川中島の小土豪、清野氏、西条氏、寺尾氏など家の行く末を見て、右往左往したのでしょうね。
 ところで私は吾妻攻略を行っており、中山城(高山村)、高野平城(吾妻町)、羽田城(吾妻町大柏木)と縄張り優れた山城を見つけて興奮しております。

タクジロー(2009/11/29)

吾妻攻略、いいですねえ。
羽田城の紹介の掲載を待っています。
高野平城は、中世の山城探索に掲載されてるようですね。
私も、年が開けたら武蔵さんのサイトを参考に、中山城、高野平城、羽田城等々登城したいと思います。
ところで、私は、武蔵さんは、既に登城されてますが、今回の信州の山城めぐりで鷲尾城の奥の堀切まで行きながら、鞍骨城へ行きそびれたのが残念です。

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