能登 小丸山城(七尾市)

城址全景

前田利家の出世城

所在地

石川県七尾市馬出町

形状

平山城

現状・遺構等

現状:小丸山公園
遺構等:空堀、石垣、曲輪、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2005/05/05

歴史等

前田利家出世の城である。天正9年(1581)8月、織田信長より能登一国を与えられた前田利家は、翌天正10年(1582) に山城の七尾城から、 港に近く交通も便利な独立丘陵の「小丸山」に新たな城を築き、麓には城下町も形成して支配拠点とした。戦陣に明け暮れる毎日なので、 能登の領国支配は兄の前田安勝を城代とし、所口(七尾)町奉行に三輪吉宗・大井久兵衛を当たらせた。
その後、本能寺の変で信長が横死すると、翌天正11年(1583)羽柴秀吉と紫田勝家との戦いで、当初、柴田軍についた利家であったが、 勝家軍が賤ケ岳の戦いで不利になった時、利家軍は早々に戦場を退くことによって秀吉を助けた。その功により、天正12年(1584) に利家は羽柴秀吉から加州二郡を加増され、居城を金沢に移し、 安勝を金沢城代とするとともに、小丸山城主とした。
慶長4年(1599)には利家の二男利政の居城となったが、関ケ原合戦不参で没収、兄利長に与えられた。同15年(1610) 利家の三男知好が入れ替った。その後、元和元年(1615)の一国一城令により、寛永16年(1639)廃城となった。
小丸山城は、東西80m・南北72mで、高さ25.6mの本丸を中心に天性丸(第二公園)・宮丸(愛宕山)、大年寺山(御貸山) の4つの砦で構成され、近年の調査で、本丸に巽櫓と坤(ひつじさる)櫓が建てられていたことが判明した。
『「現地説明板」、「日本城郭大事典(新人物往来社刊)」参照』

現況・登城記・感想等

前田利家の出世城であり、非常に興味を持って登城した。
城址に登ると本丸跡に「利家と松」の銅像があった。また噴水等もあり市民公園として綺麗に整備されていたが、城址としては、 土塁等遺構が残っていないわけではないが、あまり見るべきものはない。
(2005/05/05訪城して)

ギャラリー

絵図(現地案内板より)

本丸

「利家と松」の像

本丸・天性丸間の堀切に架かる橋

天性丸

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