三河 木戸城(安城市)

春日神社(木戸城址)入口の土塁と空堀(右)

後に犬山城主となった成瀬氏の祖成瀬正蔵が入った城

所在地

愛知県安城市木戸町東屋敷66(春日神社)
藤井城の東約600mほどの所にある。 藤井城から矢作川へ向かい、 堤防(道路)沿いに適当に東へ向かったら、小高い森が見えてきた。それが春日神社(木戸城址)であった。
従って、道順の説明が出来ません。スミマセン(汗)。

形状

平城

現状・遺構等

現状:春日神社
遺構等:曲輪、土塁、空堀、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2011/01/14

歴史等

築城年代は定かではない。室町時代中期には石川式部、石川太郎五郎の居城であった。
文明3年(1471)頃、松平信光が安祥城に進出すると同時に、 足助庄の成瀬正蔵が配属された。
4代後の成瀬正義は家康に仕え、永禄6年(1563)から同7年(1564)にかけて行なわれた西三河一向一揆の鎮圧や永禄11年 (1568)の信長上洛時の援軍、元亀元年(1570)の姉川の戦いなどで武功を挙げたが、元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いで、 家康の身代わりで討死し、正義の弟正一が継いだ。
天正18年(1590)、徳川家康が関東に移封されたため、成瀬氏も武蔵国に移り、木戸城も廃城となった。
その後、正一の子・正成は尾張家徳川義直の付家老となり、元和3年(1617)、犬山城主となった。
『現地説明板他より』

現況・登城記・感想等

木戸城は矢作川に面した舌状台地の突端に築かれており、主郭跡には春日神社が鎮座している。
神社の入口付近には土塁があり、社殿の背後を取り囲む(一部埋まっているが)結構規模の大きい空堀が残っている。
(2011/01/14登城して)

ギャラリー

木戸城址全景
藤井城から矢作川へ向かい、 堤防(道路)沿いに適当に東へ向かったら、小高い森が見えてきた。それが春日神社(木戸城址)であった。

木戸城址主郭跡に鎮座する春日神社

社殿東側の空堀

社殿北西の空堀

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