尾張 大野城(常滑市)

模擬天守と城門

佐治氏4代の城、徳川2代将軍秀忠の妻お江の方が最初に嫁いだ城

別名

宮山城

所在地

愛知県常滑市青海町字城山(城山公園)

形状

平山城

現状・遺構等

現状:城山公園、佐治神社
遺構等:模擬天守(展望台)、模擬城門、模擬土塀、曲輪、土塁、空掘、櫓台、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/11/10

歴史等

大野城は、室町時代の初期、三河国守護一色氏が築城した。
戦国時代になると、近江より佐治宗貞が移住し、4代続いた。
3代信方は、織田信長の妹・於犬の方を迎えたが、元亀2年(1571)の「伊勢長島一向一揆」の戦いで討死した。
4代一成は、信長の姪・小督(お江)を娶ったが離婚。小督は、後に徳川2代将軍秀忠の正室になった。
一成は、信長死後は秀吉に従わず、小牧長久手の合戦で家康に味方したため、秀吉の怒りをかい、家康が秀吉に臣従後の天正12年(1584) 大野城を放棄し、伊勢に行き、その後、京都で病死し、佐治氏は滅亡した。
一成の後に、信長の弟・織田有楽斎長益が入ったが、水利の悪さから、大草城を築いて移り、 廃城となった。
『現地説明板他参照』

現況・登城記・感想等

大野城址のある青梅団地(団地内には専用駐車場もある)の北東部へ向かうと模擬天守が見えて来る。
模擬天守を建てているような城址は改変されてしまい、遺構は大したことないだろうと思い、それほど期待しないでの登城であったが、何の何の! !
主郭部には物見櫓台も残り、佐治神社が祀られている。
また、主郭周辺には曲輪、土塁、空堀、虎口等々、実に良好に残っている。
また、それほど高い丘ではないが、模擬天守上からの眺望は素晴らしく、眼下に常滑市の町並み、その向こうには汽船が行き交う伊勢湾、 さらにその向こうには鈴鹿山脈まで望むことが出来る。
(2008/11/10登城して)

ギャラリー

青梅団地の北東部へ向かうと模擬天守が見えて来る。

駐車場から城山公園への案内板に従って入城すると、㊧いきなり帯曲輪へと出、㊨次に二曲輪へと出る。 二曲輪には多くの遊具が設置されているが、この東側には高さ2mほどの土塁が見られる。
 

模擬城門(高麗門)
二曲輪を左に見ながら階段を登って行くと、模擬城門(高麗門)が現れる。

模擬天守・城門・土塀
城門を入ると主郭へ出る。主郭はあまり広くなく、模擬天守(展望台)・城門(高麗門)・土塀が建ち、 説明板が設置されている。

天守(展望台)からの眺望
展望台からの眺望は素晴らしく、眼下には常滑市の町並み、その向こうには汽船が行き交う伊勢湾、 さらにその向こうには鈴鹿山脈まで望むことが出来る。

城址碑
城門の東側には立派な石碑と小さな石柱が並んで立っている。

物見櫓台(㊧主郭から撮影、㊨展望台上から撮影)
主郭南側(展望台の対面)には一段高い土塁があり、物見櫓が建っていたようだ。

 

㊨物見櫓台上には佐治神社(中央)と一色社(左側)の祠があり、㊧その手前左側には「佐治神社趾」の石柱が立っている。
 

主郭東側下の空堀?(帯曲輪?)&土塁
主郭東下から南下にかけて、空堀のように土塁で挟まれた掘削された削平地があったが、幅20mはあり、 空堀にしては広すぎるので腰曲輪だろうか?写真右側の土塁は、高さ3~5m、幅5~6mほどあるしっかりしたものだ。

土塁と搦手?虎口
主郭東下には虎口があり、鳥居が立っている。鳥居両側の土塁は上写真右側土塁から続いている。

土塁と搦手虎口(上写真を外側から撮影)
城外から左側が崖の坂道を登って来ると、この主郭東下の虎口へと出る。入城するには、 右へ直角に曲がることになる。

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コメント

シヴァ♂(2012/01/28)

2012年1月26日にセントレア見学のついでに見に行って来ました。
私もあまり期待せずに行きましたが裏切られました。(ワラ
ホント良い城でした。
貴方様の登城記のURLを無断でブログに貼り付けてしまいました。
大変申し訳御座いません。
もし了承を得られない場合は、直ちに削除いたします。

タクジロー(2012/01/28)

シヴァ♂ さま
ご訪問とコメントをありがとうございます。
宅地開発が進んだ中にあるにも関わらず、かなり遺構が残っていて嬉しいですね。
ブログに貼り付けて戴いたとのこと、嬉しいです。
できればブログの紹介もして頂ければ幸いです。
今後とも宜しくお願い致します。

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