天守台を
南朝方の北畠氏が砦を築き、後に信長が侵攻し二男信雄を入れる
別名
玉丸城
所在地
三重県度会郡玉城町田丸字城郭
形状
平山城
現状・遺構
現状:城址公園、玉城中学校
遺構等:移築城門(富士見門)、曲輪、天守台、石垣、櫓台、土塁、水堀、空堀、土橋、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
2004/02/08
2009/03/15
歴史等
田丸城は、南北朝動乱期の延元元年(1336)、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、
愛洲氏や度会氏などの援助を得てこの玉丸山に城を築いて南朝方の拠点としたことが始まりとされる。
南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮の外港大湊に通じる道は、軍事・経済の面からも吉野朝廷にとっては最重要路線であり、玉丸城は北朝・
南朝の攻防の舞台になった。
室町時代には、伊勢国司となり一志郡美杉村(現津市美杉町)に多気館
(多気御所)を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となっていた。
天正3年(1575)織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸を設け、
本丸には3層の天守閣を建て、田丸城と改称した。天正8年(1580)には、放火によりこの天守閣をはじめ城は全焼し、
信雄は松ヶ島城を築いて移った。
同12年(1584)蒲生氏郷が松ヶ島城主になると、
妹婿の玉丸直昌が田丸城を修築し、城主となった。
同18年(1590)氏郷の会津転封につれて直昌も三春城へ転出となり、
その後、田丸城は稲葉氏に与えられたが、大阪の陣後は藤堂高虎の所領となり、元和5年(1619)徳川頼宣が和歌山城主になると田丸はその飛び地となった。
頼宣は家老の久野宗成に田丸を治めさせ、以後久野氏が代々城代を勤め、明治を迎えた。
城は、明治2年(1869)に廃城となり、同4年(1871)には城内の建物は取り払われた。
昭和3年(1928)、国有林となっていたこの城地の払い下げに際し、村山龍平の寄附により町有となり、その後残りの城地も町有化し、
町民に開放された。
『「現地説明板」、「日本城郭大事典(新人物往来社刊)」より』
【村山龍平】
伊勢国田丸(現・三重県度会郡玉城町)生まれ。実家は紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、一家を挙げて大阪に移住、
父とともに西洋雑貨商「田丸屋」(後に「玉泉舎」)を営む。明治12年(1879)朝日新聞の創刊に参加。1891年に衆議院議員に当選。
1930年に勅選貴族院議員となった。933年に84歳で死去。娘婿は村山長挙(朝日新聞社長)。
現況・登城記・感想等
小山の頂上に見える田丸城址の石垣は圧巻である。決して大袈裟ではなく、その時は、まるでマチュピチュのような気さえしたというと、
さすがに大袈裟か?。
三の丸だった所が玉城中学校になっているが、それ以外は、かなりの遺構が残っている。水堀は各所で埋め立てられてはいるが、外堀・
内堀が今も結構残っているし、また天守台・本丸・北の丸・二の丸の石垣もよく残っている。山頂部は、
3つの曲輪が本丸を中心に連郭式に配置され、それぞれの曲輪の間には空堀が設けられている。また、本丸の天守台も見事なものである。
(2004/02/08登城して)
伊勢神宮参拝の帰りに寄った。5年ぶりの登城である。
前回は、あまり廻らなかった城郭下周囲も廻ってみたが、堀等がよく残り往時を偲ばせてくれる。
城址公園として整備が行き届いていて散策しやすいし、また何度登城しても楽しませてくれる城址だ。
(2009/03/15登城して)
ギャラリー
田丸城址遠景
この光景が見えた時には、石垣の素晴らしさに感動した。
大手門
外堀に架かる大手橋を渡って入城すると、正面に本丸が見える。
二の門
大手橋を渡り進むと二の門跡へ突き当たる。この虎口は屈曲した道の喰違い虎口になっており、
ちょっとした枡形を形成している。この辺りの石垣も良好に残っている。
二の門手前の水堀
この辺りの水堀と石垣は良好に残っており風情がある。
本丸・北の丸の石垣
二の門を入り、くねくねした道を登り三の丸跡に建つ玉城中学脇を登ってくると北の丸(写真右)と本丸
(写真中央上)の石垣が見えてくる。ここに4~5台駐車できる。
本丸虎口
本丸虎口も喰い違い虎口になっており、ちょっとした枡形を形成している。
天守台
織田(北畠)信雄により、三層の天守が建てられたが、僅か5年で焼失してしまい、
その後再建されることは無かった。天守台は穴蔵になっている。
天守台穴蔵
天守台上から本丸を
写真奥の石垣の向こうが二の丸。
天守台上からの眺望
本丸(勿論天守台も)からの眺望は非常に良い。本丸下には腰曲輪があり、出丸?(多分、
櫓か何らかの建物が建っていたのであろう)が突出しているが、その石垣の姿がかっこいい。
本丸・二の丸間の空堀
本丸・二の丸間は空堀で断ち切られ土橋が架かっている。右側が本丸。
二の丸石垣と三の丸(玉城中学校校庭)
この二の丸の石垣もなかなかかっこいい。左下は三の丸(玉城中学校庭)。
二の丸
本丸と二の丸の間の空堀と土橋(二の丸側から)
写真奥に薄っすらと天守台が見える。
富士見台
北の丸の石垣
富士見門
北の丸の北東下の道路脇に富士見門(長屋門形式)が移築されている。この門は、
三の丸から二の丸富士見台に向かう門であった。