藤原秀郷を祖とする四日市赤堀三家の一つ羽津家の居城
所在地
三重県四日市市城山町(近鉄阿倉川駅線路沿いに北500mほど)
形状
平山城
現状・遺構
現状:公園
遺構:曲輪、土塁、石碑、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2005/05/06
歴史等
藤原秀郷を祖とする赤堀三家の一つ羽津家の居城。
15世紀後半、この地を治める藤原(田原・俵)盛宗によって築かれたのが羽津城です。藤原(田原)氏は、もともと上野国赤堀庄に住んでいましたが応永年間
(1394~1428)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたとされます。景信は、長男の盛宗(もりむね)を羽津に、
次男の秀宗(ひでむね)を赤堀に、そして三男の忠秀を浜田に配しました。
世にいう赤堀三家です。
羽津城は、盛宗から近宗まで六代の主の居城となりましたが、元亀2年(1572)、羽津近宗が滝川一益家臣の茂福城代山口氏に謀殺され、
開城。その後、羽柴秀吉と織田信雄の合戦後の和睦により廃城となりました。
現況・登城記・感想等
亡くなった親父から伝え聞くところによると、我が家の先祖はその昔(室町時代末期)に上野の国(現群馬県伊勢崎市赤堀)からこの地に、
時の殿さんに付いてやってきたとのことであり、そのお城がこの「羽津城」だと聞いたことがある。そういえば、赤堀家の家紋は三頭左巴で、
我が家の家紋も同じである。本当かもしれないな。
低い丘が城址であるが、近鉄の線路で真っ二つに割られて、線路の上に橋が架かっている。一応、石碑があり、
土塁跡や曲輪跡らしきものがあり小さな公園になっている。
ギャラリー
羽津城址説明板

僅かに残る土塁と石碑
