本丸
毛利元就の母親の里、元就もこの城内で誕生したと云われる
別名
福原城
所在地
広島県安芸高田市吉田町福原
形状
山城(標高:316m、比高110m)
現状・遺構等
現状:山林(私有地)
遺構:曲輪跡、空堀、石垣、土塁、井戸、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2002/02/09
歴史等
鈴尾城(福原城)は、永徳元年(1381)に毛利元春の5男・広世が福原の地に移り、姓を福原と改めて築いた城である。
8代・広俊の娘は毛利弘元の妻となり、長男・興元が誕生し、次男・元就は明応6年(1497)3月14日、
母の里であるこの鈴尾城内で誕生したという。天文9年(1540)の郡山合戦には10代・広俊がこの城に籠って吉田盆地の守りとした。
慶長5年(1600)の関ヶ原の敗戦により、主家毛利氏の防長への転封に従い13代・広俊も毛利輝元に従って、防長へ移り、
城は廃城となったが、この間、219年間福原氏の居城であった。
『現地案内板より』
現況・登城記・感想等
鈴尾城は標高316m、比高110mで、三方を急峻な崖と背後を空堀で区切ることによって要害としている。
山頂部に輪状にめぐる中央部の曲輪群があり、北側の小曲輪群と繋がり、東側の谷近くに居館跡がある。
登城口に「毛利元就誕生の地」の碑が建っていた。城域は私有地のようで、入口が鉄門扉で遮られているがカギはかかっていない。
おまけに有難いことに登城用にか、杖まで置いてくれている。親切な地主さんである。
登って行くと、途中の居館跡にも「毛利元就誕生の地」の碑があった。山頂の本丸まで登ると、見晴らしが良く、近くには桂城跡や星ケ城跡が見え、
遠くには郡山城跡まで見える。他にも、毛利氏関連のいくつかの山城跡が見える。本当に、
吉田町は山城の宝庫である。
(2002/02/09登城して)
ギャラリー
鈴尾城(福原城)の図
㊧登城口、㊨居館跡に「元就誕生の地」の石碑が
どうも私有地らしく鉄門扉があるが鍵はかかっていない。おまけに杖が用意されている。
本丸からの眺望 ~クリックにて拡大画面に~
桂城跡や星ケ城跡が見え、遠くには郡山城跡まで見える。他にも、毛利氏関連のいくつかの山城跡が見える。