清水御門
村上水軍の末裔久留島氏の陣屋は城郭風
別名
久留島陣屋
所在地
大分県玖珠郡玖珠町森
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:三島公園
遺構等:石垣、門、庭園(藩主御殿庭園・栖鳳楼庭園・清水御門庭園)、碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/07/27
歴史等
慶長6年(1600)の関ヶ原の合戦で西軍に与した村上水軍の末裔・来島長親は、伊予来島から豊後森一万4千石へと移封になり、
幕末まで在封した。来島氏は、幕府の掟で城を持てぬ小大名であったため、角牟礼城を居城と出来ず、
角埋山
(角牟礼城)の麓に陣屋を築き、2代通春の時の元和2年(1616)、姓を久留島と改めた。
また、3代通清が家督を継いだ時、弟通貞と通逈にそれぞれ1千石、五百石を分与し、以後代々1万2,500石となり、
豊後国内での最小藩であった。
森藩では、角埋山は「大切之御山」としていたが、8代藩主・通嘉のときに、氏神である三島宮(末廣神社)の改築を思い立ち、
境内をお城仕立てに造り上げた。それとともに、それぞれ独立した藩主御殿庭園・栖鳳楼庭園・清水御門庭園を造り、今も
「旧久留島氏庭園附清水御門前庭」として大分県指定名勝となって残っている。
『「現地説明板」、「藩と城下町の事典(東京出版堂刊)」参照』
現況・登城記・感想等
三島公園(森陣屋跡)は「旧久留島氏庭園附清水御門前庭」がよく残されており、きれいに整備されている。
末広山を挟んで、陣屋跡の反対側は、お堀風の池があり、その対岸の土塁上に清水御門が建っている。そして、その奥には石垣がそびえている。
確かに、城仕立てに造営したのがよく分かる。そして、藩主・通嘉が一藩主として城を持ちたかったという願いというか執着心が垣間見える。
(2006/07/27登城して)
ギャラリー
森陣屋跡(後方は藩主御殿庭園)
久留島氏庭園(藩主御殿庭園)
8代藩主・通嘉による大規模な神社造営の一つとして、土佐出身の築庭師・橋本東三により造られた。
清水御門と常夜燈
このあたりが、お城仕立ての境内の表玄関となっている。この自然石の常夜燈は、日本一と称されているそうだ。
8代藩主通嘉が参勤交代の途中、東海道の宿場で、自然石日本一という石燈籠を見て、それ以上のものを所望して作らせたと言われている。
笠石は六畳敷の大きさで、竿石の正面に彫られた常夜燈の3文字の中には、米一俵が入ると伝えられている。
清水御門奥の石段
清水御門手前の石段も急であるが、門の奥にはさらに急な石段が続いており、そしてその奥には、
まさに城のような石垣が積まれている。一藩主として城を持ちたいという願いが込められているのであろう。
玉水
清水御門横の土手からは、年中涸れることなく清水が湧き出ている。この清水は「玉水」と名付けられ、
お茶をたてるのに適した水である。