大手口城門の石垣
中世から近世に至るまで使われ、中世の城の面影を残す城址
別名
亀城
所在地
千葉県富津市佐貫(佐貫中学校の東200mほどにある山)
佐貫中学:富津市佐貫39番地
形状
平山城(比高49m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:石垣、土塁、曲輪、空堀、堀切、切岸、土橋、碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/03/18
歴史等
佐貫城は、室町時代にさかのぼり文安年間(1444~1449)に長尾氏によって築かれたとする説と、応永年間(1394~1428)
に築かれたとする説がある。
その後、戦国時代に入ると、里見・武田・朝倉・加藤・大河内の諸氏が城主となった。
小田原の役の後、徳川家康が関東に転封されると、譜代の内藤家長が2万石で入った。家長は慶長5年(1600)
の関ヶ原合戦の緒戦の伏見城攻防戦で戦死し、
遺領は嫡男政長に与えられた。政長は累進加増され、元和8年(1622)、7万石で陸奥磐城へ転封された。
代って武蔵深谷で8千石を知行する松平(桜井)忠重が1万5千石で入封し、その後寛永10年(1633)に駿河田中へ転封し、
一時幕領となった。
寛永16年(1639)、松平(能見)勝隆が新封1万5千石で入封したが、つぎの重治は奏者番兼寺社奉行在任中の不正で貞享元年(1684)
に除封され、一時廃藩になった。
その後、元禄年間に柳沢保明(後の吉保)が入城するが、元禄2年(1689)に保明が川越に転封になると、
再び廃城となった。
その後、宝永7年(1710)、阿部正鎮が三河刈谷より1万6千石で入封し、
佐貫藩と城が復活した。それより阿部氏が8代、160余年で明治維新を迎え、明治4年(1871)5月に廃城となった。
『「現地説明板」、「国別・藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」より』
現況・登城記・感想等
登城口(大手口)にいきなり、石垣城門があり、そこを登った所が三の丸である。石垣城門跡が残っているのは、千葉県では珍しい。
三の丸は、何段かになっているようである。
三の丸から二の丸への虎口(坂虎口になっている)がよく残っており、直角に曲がらないと入れないようになっている。そしてそこを入ると、
左側には垂直に切り立った高い切岸があり、その上が二の丸である。右側下もかなりの急崖になっているが、
これは天然のものに手を加えたものであろうか。
二の丸と本丸の間には、空堀があり、土橋で繋がっている。その空堀は、非常に深く、斜面も急で、実に見応えがある。
堀底は畝堀のようになっているが、意識的にしているものではなさそうだ。この辺りが、この城址の最大の見所であろう。
土橋を渡り、本丸虎口(ここも坂虎口になっている)を入る。本丸は、それほど広くはなく、不整形である。本丸から西(左)
へ行くと展望台となっているが、物見櫓でもあったのであろう。また、本丸を奥(北)へ進んで行くと、やはりここにも物見櫓跡らしき所に出る。
どちらも、見晴らしは絶景とは云えないまでも、それなりに良く、眼下には佐貫の町並みが見え、その向こうには光り輝く東京湾が見渡せる。
物見台も含めて、本丸の周りは、全て絶壁になっている。それほど高い山でもないが、天然の要害の地といえるであろう。
この城址は、近世になってからも使われた城でありながら、中世城郭の風情を残した城址で、結構気に入った。
(2007/03/18登城して)
ギャラリー
佐貫城址全景
(三の丸の西の空き地から撮影)
登城口(大手口)
道路脇にいきなり登城口(大手口)があり、そこには石垣城門跡がある。
大手口城門
石垣城門跡が残っているのは、千葉県では珍しいというか、県下に唯一残る石垣城門らしい。
二の丸への虎口
三の丸から二の丸への虎口(坂虎口になっている)がよく残っており、
直角に右に曲がらないと入れないようになっている。
二の丸の切岸(削崖)
二の丸虎口を入ると、左側には垂直に切り立った高い切岸(削崖)があり、その上が二の丸である。
右側下もかなりの急崖になっているが、これは天然のものに手を加えたものであろうか。
二の丸
本丸・
二の丸間の空堀 ~クリックにて拡大画面に~
二の丸と本丸の間には、空堀があり、土橋で繋がっている。その空堀は、非常に深く、斜面も急で、実に見応えがある。
堀底は畝堀のようになっているが、意識的にしているものではなさそうだ。
二の丸から本丸への土橋① ~クリックにて拡大画面に~
土橋を渡り、
本丸虎口(ここも坂虎口になっている)を入る。土橋の両側が上写真の空堀。
二の丸・本丸間の土橋② ㊧二の丸側から撮影、
㊨本丸側から撮影
本丸
石垣跡?
本丸から本丸北西部物見台の途中に石垣跡らしきものがあった。ただ、自然の岩が割れたようにも見える。
本丸西側の物見台跡とその物見台からの眺望
本丸の西と北西部には物見台らしき所がある。どちらも、見晴らしは絶景とは云えないまでも、それなりに良く、
眼下には佐貫の町並みが見え、その向こうには光り輝く東京湾が見渡せる。但し、写真では光る海が写らない。
本丸北西部の物見台とその物見台からの眺望