下野 佐野城(佐野市)

本丸と二の丸間の堀切

幕府の命で唐沢山城から移るも、大久保忠隣失脚に連座して改易

別名

春日城、春日岡城、姥ヶ城

所在地

栃木県佐野市若松町(城山公園)

形状

平城

現状・遺構等

現状;城山公園
遺構等:曲輪跡、堀切、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

歴史等

佐野城は、別名「春日岡城」とも言われ、その地名は、延歴元年(782) 藤原藤成がこの丘に春日明神を祭ったことに由来すると伝えられている。慶長7年(1602)、唐沢山城主佐野信吉は、 当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と町割を開始した。今日見られる佐野の街は、 当時の佐野城を中心とした町づくりがその原形となっている。
戦国時代の下野(特に南部地域)は、上杉氏と後北条氏の攻防の舞台となった。そのような状況下で、佐野氏は、弱小戦国大名であったが、 唐沢山城の天険を頼りにして、巧みな外交術によって独立を保とうとした。しかし、 後北条氏の圧力には抗し難く、佐野氏は北条氏康の六男氏忠を養子として迎え入れるという形で、その支配下に組み入れられた。
天正18年(1590)後北条氏が豊臣秀吉に滅亡させられた。小田原の役に際して、佐野一族の天徳寺了伯は秀吉に従って功績を上げ、 唐沢山城を後北条氏から取り戻すことに成功した。その後、 了伯は佐野房綱と名乗り、佐野の名跡を継ぐとともに、秀吉から佐野領3万9千石を安堵された。
房綱は文禄元年(1592)隠居して、秀吉の家臣・富田知信の次男・信吉に家督を譲った。信吉は関ヶ原合戦に際しては徳川方に与したので、 所領を安堵されたが、慶長7年(1602)、徳川家康より唐沢山城を廃して、 春日岡(佐野市)に移転するように命じられた。一説には、山城禁止令に唐沢山城が抵触したため、平城である春日城(佐野城・春日岡城) に移転させられたと云われている。
しかし、次のような事件が唐沢山城の廃棄に繋がったとも伝えられる。慶長7年(1602)2月に起きた江戸の大火に際して、 唐沢山城からも、その様が遠望された。驚いた信吉は江戸城へ駆けつけた。 本来なら、徳川家の大事を思い、急ぎ参じた信吉は報償されるべきであろうが、逆に、予告なしに江戸へ出府したことを責められ、 唐沢山城を廃棄するように命じられたとも云われている。つまり、 外様大名の佐野氏が江戸の大事を即刻知ることができる山城に居を構えていては、徳川氏にとって不都合であるということだったのであろう。 (現在でも、唐沢山城跡からは、 関東平野が一望のもとに見渡せ、冬晴れの日には富士山まで望める)
そして、佐野氏は、慶長12年(1607)唐沢山城を廃してこの地に移ったが、 築城なかばの同19年(1614)大久保忠隣の失脚に連座して改易となり、築城後まもなく城は廃城となってしまった。
『参照:日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)、現地説明板』

訪城日

2006/10/09

現況・登城記・感想等

佐野氏の歴史は何と哀れなのであろう。必死に生き残りを図ったものの結局は無駄に終わってしまった。 そんな歴史を思い浮かべながら登城した。
JR佐野駅のすぐ前の小高い丘が佐野城址である。駅のすぐ前が三の丸で、まさに児童公園になっており多くの親子が遊んでいた。 その奥へ順に二の丸・本丸・北出丸となっており、それらの間には、なかなか立派な堀切が残っている。
他に、平成4年度の発掘調査で本丸から石畳や石垣が発見されたそうであるが、形状を損なう恐れがあるため、 保存のために埋め戻されているとのことで残念ながら見ることは出来ない。
全体的に、それほど遺構は残ってはいないが、場所を考えるとよく残っているほうであろう。まあ城址というより、 市民のよき憩いの場と云ったほうが相応しいであろう。
(2006/10/09登城して)

ギャラリー

三の丸跡
児童公園になっており、多くの親子が楽しげに遊んでいた。

三の丸から二の丸への道(左)と二の丸跡(右)
 

二の丸と本丸間の堀切
これが最大の見どころであろう。

本丸跡
手前は、本丸跡から発掘された石垣の石。

埋め戻した石垣と通路に沿って並べられた発掘された石
平成4年度の発掘調査で、佐野城本丸から石畳の通路と石垣が発見された。石畳は、東西2.6m、 南北5.6mほどの範囲で確認され、東部には水路と思われる幅20センチ、深さ20センチの溝がある。石垣は、最も良く残っている部分で、 長さ6.4m、高さ1.4mで、いずれも細長い角礫を使用している。この東斜面には井戸跡もあり、石畳と石垣は、 ここへの通路の一部であった可能性が高い。出土した石畳と石垣は、形状を損なうおそれがあり、保存のために埋め戻しを行なっている。

本丸と北出丸間の堀切
この堀切もなかなか見事なものである。

北出丸
右写真は北出丸にあった一段高い土台。建物跡であろうか?
 

うなぎ「たむら」
佐野城址を見終わってから「うなぎ」を「たむら:佐野市富岡町1337、TEL0283-21-2220 」という店で食べた。 住宅街にあるこじんまりとした店であるが、香ばしくて非常に美味しかった。お勧めである。
店の御主人は、ご飯に自信があるようであった。確かに美味しかったが、量があまりにも多くて、残すわけにもいかず食べ過ぎてしまい、 しばらくお腹が苦しくて参った!!

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント