本丸北東部の水濠
加賀2代藩主・利長の隠居城
所在地
富山県高岡市古城
形状
平城
現状・遺構等
現状:高岡古城公園
遺構等:曲輪、土塁、石垣、堀、土橋、井戸、碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2005/05/05
歴史等
高岡城は、富山県で唯一、近世に築かれた城である。高岡城は、加賀2代藩主前田利長が築いたもので、
縄張はキリシタン大名として有名な高山右近である。
利長は慶長11年(1606)に引退し、最初、越中富山城に移ったが、
その3年後、城下から出た大火で城は全焼し、やむなく利長は、一時魚津城に移った後、
新たに高岡城を築いて移った。
以後、利長は慶長19年(1614)に53歳で死亡するまで在城した。翌元和元年(1615)一国一城令が出されたため、
高岡城はわずか数年で廃城になってしまった。
この時、城の建物は取り壊されたが、石垣、堀、土塁等は破却されずに残され、その後も「高岡古御城」
と称され加賀藩高岡町奉行の管理下に置かれて監守人が配置されていた。
明治になって、加賀藩から伏木の廻船問屋藤井氏に払い下げられ、藤井氏は農地にする予定であったが、
時の射水郡第17区長服部氏が公園とするよう説得し、明治8年(1875)、日本初の公園条例による指定を受けた。
今も高岡古城公園として昔の姿を見せている。
『日本の名城・古城もの知り辞典(主婦と生活社刊)より』
現況・登城記・感想等
水堀に架かっている朱色の橋を渡って城内へ。現在は、古城公園となっている城跡は、二の丸(市民会館)・鍛冶丸(博物館)・明丸
(動物園)・三の丸(体育館)・小竹藪(広場)と本丸を取り囲むように曲輪が配置されて、曲輪の周囲を水堀が巡らされている。
本丸は広々とした芝生のいい公園となっている。その本丸跡の端の方に、馬にまたがった前田利長の銅像があり、銅像の背後が高岡城天守台。
さらに歩いていくと朝陽橋へと出、池のように広い水堀があった。
随分、堀が多い城だなと思っていたら、水堀がこの公園面積の約3分の1を占めるそうである。また、
公園内には彫刻のあるまちづくりということで、多くの彫刻が展示されていた。ここは、城址というよりは、
やはり公園といったほうが相応しいのかも。
(2005/05/05登城して)
ギャラリー
駐春橋を渡って、さあ登城!
高岡城石垣
高岡城は元和元年(1615)
廃城となったが、当時の城壁の名残りとして、二の丸と本丸を結ぶこの地に土橋の石垣が見られる。
本丸(かなりの広さを誇る)
前田利長像
朝陽橋
非常に水堀の多い城であるが、
この近辺の水堀が一番きれいかな。
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