伊勢 桑名城(桑名市)

関ヶ原合戦後、本多忠勝が入封、幕末の藩主定敬は会津藩主容保の弟

別名

旭城・扇城

所在地

三重県桑名市吉之丸

形状

平城(海城)

現状・遺構

現状:九華(きゅうか)公園
遺構:石垣、堀、郭跡、移築城門(桑名市・了順寺)、復元櫓

満足度(10点満点)

4点

訪城日

2003/05/03

歴史等

文治2年(1186)、桑名行綱の築城と云われる。
天正2年(1574)織田信長が伊勢を平定すると、信長の重臣・滝川一益の所領となる。同19年(1591)、一柳右近が桑名を領有、築城。 文禄4年(1595)、氏家行広が城主となったが、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦で西軍に属し、敗北したため無血開城。
慶長6年(1601)、本多忠勝が入封し、城を拡張・整備した。元和3年(1617)、本多忠勝の子忠政は姫路15万石に転封し、 その後、久松松平氏、次いで奥平松平氏が入り、7代113年在城した。
文政6年(1823)、久松松平氏が再封し、以後、久松松平氏4代の居城として明治維新を迎えた。桑名藩は慶応4年(1868) の戊辰戦争の際に討幕軍から激しい砲撃を浴びて無血開城。討幕軍は天守の代わりとなっていた三層の辰巳櫓なども焼失した。
尚、天守閣は四重六層の勇壮なものであったが、元禄14年(1701)の大火で焼失し、以後は再建されなかった。
『日本城郭大辞典(新人物往来社刊)参照』

現況・登城記・感想等

遺構といえば、満々と水を湛えた幅の広い堀と、本丸跡に神戸櫓跡と辰巳櫓跡が残っているだけではあるが、往時は海(実際は揖斐川河口) に浮かぶ本当に綺麗な水城だったんだろうなというのが窺い知れる。それにしても、桑名藩・会津藩憎しとはいいながら、よくぞここまで、 破却したものだ。

ギャラリー

桑名城絵図

本多平八郎忠勝の銅像

満々と水を湛えた非常に広い堀

二の丸堀
(桑名城は官軍によって徹底的な破壊を受け、石垣は四日市港築造の資材として払い下げられたという。その中では石垣が割合よく残っている。)

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