一本木台場(函館市)

土方歳三最期の地の碑と復元された一本木関門

土方歳三が関門を出て死地へと向かった台場

所在地

北海道函館市若松町(若松緑地)
【アクセス】
函館駅の北東約500m。八幡通り「若松34信号」を50mほど北上した左(西)側に若松緑地という公園があり、この南端に「土方歳三最期の地」の石碑や説明板と共に「一本木関門」という冠木門が復元されている。台場は一本木関門付近の海岸に築かれていたようだが、実際にはここから西側(海岸寄り)の国道5号付近にあったようだ。

形状

台場

現状・遺構等

【現状】 市街地
【遺構等】 冠木門(模擬)、土方歳三最期の地の石碑と説明板

満足度

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訪城日

2012/08/01

歴史等

箱館戦争の資料『説夢録』という戦記に「一本木関門の辺海岸に砲台を築き」という記述があり、旧幕府軍が設置した台場と思われる。
一本木関門から出撃した土方歳三は、「我、この柵にありて退く者は斬る」と、額兵隊と伝習士官隊を市内に突入させ、馬上での指揮中、腹部に被弾して討死した。
実際の死亡地は、海岸よりの国道5号線付近と考えられている。
『「箱館戦争史料集(新人物往来社)」、「箱館戦争写真集((新人物往来社)」参照』

現況・登城記・感想等

公園内に、「土方歳三最期の地」の石碑と説明板が立ち、その脇に復元(模擬?)された一本木関門が建っている。
勿論、主役は台場ではなく「土方歳三」で、石碑の前には、一杯の花と共に、例の軍服姿の(田本研造により撮影された憂いのあるイケメンに写った)写真が添えられている。相変わらずの人気のようだ。
最後まで己の節を曲げず、幕臣以上に活躍し、死に場所を箱館に求めたことも人気の一つだろうが、この写真が果たした役割の方が大きいかもネ?
尚、実際の台場(関門)の場所も土方歳三の死地も、もう少し海岸寄りの国道5号線付近であったようだ。
また、「土方歳三最期の地」の石碑は、昭和35年に若松小学校横に建てられたが、その後、若松町グリーンベルト、そして現在の場所へと移築されたものだそうだ。
(2012/08/01訪れて)

ギャラリー

公園内に建つ「土方歳三最期の地」の石碑と説明板と復元された一本木関門
公園内に、「土方歳三最期の地」の石碑と説明板が立ち、その脇に復元(模擬?)された一本木関門が建っている。 
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説明板
IMG_3780

土方歳三最期の地の碑
主役は台場ではなく「土方歳三」で、石碑の前には多くの花と共に、例の軍服姿の(田本研造により撮影された憂いのあるイケメンに写った)写真が添えられている。相変わらずの人気のようだ。
DSC03985

軍服姿の土方歳三の写真
最後まで己の節を曲げず、幕臣以上に活躍し、死に場所を箱館に求めたことも人気の一つだろうが、この写真が果たした役割の方が大きいかもネ?
土方歳三写真

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