弁天台場(函館市)

在りし日の弁天台場(現地説明板写真より)

西洋列強の外圧に備えて幕府が築いた台場、箱館戦争時には旧幕府脱走軍が籠城

別名

弁天岬台場

所在地

北海道函館市入舟町
【アクセス】
市電「函館どつく前」駅から北へ200m程行くと「函館どつく」に突き当たるが、この前に標柱が立っている。また、市電「函館どつく前」駅のすぐ横(南西)に小公園があり、その南端に説明板が立っている。

形状

台場

現状・遺構等

【現状】 函館どつく
【遺構等】 標柱、説明板

満足度

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訪城日

2012/08/02

歴史等

西洋列強からの圧力が増してきた江戸末期に、幕府は蝦夷地を2度目の直轄領とした。
安政元年(1854)、箱館奉行竹内下野守と堀織部正は、箱館の警備について幕府へ上申し、弁天台場を築造することになった。
台場は安政3年(1856)、10万両の予算で現在の「函館どっく」の一角に着工された。設計・監督は五稜郭と同じ武田斐三郎によるもので、不等辺六角形(周囲約684m、面積約32,340㎡)をした台場は、元治元年(1864)に完成した。
箱館戦争の時、台場を占拠した旧幕府脱走軍は、新政府軍と砲戦を展開したが、新政府軍に圧倒され、明治2年(1869)5月15日、台場に籠城していた箱館奉行永井玄蕃ほか約240名全員が降伏した。
台場はその後、弁天砲台として陸軍省の所轄となり、函館砲隊が守備していたが、明治29年(1896)、港湾改良のため取り壊されて周囲が埋め立てられたので、今は昔の姿を知ることができない。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

台場跡は函館どつく株式会社(造船メーカー)の敷地となっており、遺構は勿論、往時の面影もなく、会社の入口(正門ではない)の脇に標柱が立っているだけである。
また、市電の始発・終点となる「函館どつく前」駅のすぐ横(南西)にある小公園の南端(道路沿い)に説明板が立っている。説明板の横には「新撰組最後の地」の石碑も立っている。
尚、ここから函館漁港に向かい、突き当たったところに函館港改良工事記念碑が建てられているそうだ。埋立工事の際に、弁天台場の土塁石垣石が多く利用され、いまも舟入澗防波堤、護岸防波堤として残り、また、記念碑の御影石も土塁石垣に使われた、あご石の一つだそうだが、うっかりして見そびれてしまった(;>_<;)。
(2012/08/02訪れて)

ギャラリー

函館どつく入口脇に建つ標柱
この標柱が立つ辺りが台場の中心部だったようだ。
弁天台場標柱

小公園に立つ説明板
市電の始発・終点となる「函館どつく前」駅のすぐ横(南西)にある小公園の南端(道路沿い)に説明板が立っている。また、説明板の横には「新撰組最後の地」の石碑(写真左端)も立っている。
弁天台場説明板

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