復元表御門と手前に堀
幕末、外国からの侵攻に備え松前藩により築かれた四稜郭式陣屋
読み方
まつまえはんへきちりじんや
所在地
北海道北斗市野崎66-10他
【アクセス】
清川寺を左手(西)に診て、道道96号線を400~500mほど北上すると、斜め左へ登る坂(道路に案内有)があるので、その坂を登って行きます。案内に従い500m程登って行くと陣屋跡へ出ます。広い無料駐車場が完備されています。
清川寺:北斗市野崎85、0138-73-8887
形状
陣屋(稜堡式平城)
現状・遺構等
【現状】 史跡(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、土塁、堀、井戸、馬隠し、模擬表御門、模擬裏御門、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
2007/09/10
歴史等
松前藩戸切地陣屋は、安政元年(1854)神奈川条約締結後、幕府は外国船渡来により不測の変に備えて、翌2年(1855)津軽藩・南部藩・仙台藩・秋田藩・松前藩の5藩に分担警備させ蝦夷地防衛の強化をはかった。
松前藩は七里浜から木古内までを分担し、戸切地陣屋を構築した。
構造は四稜郭で亀が首を出した形をしており六つの砲座がある。
郭内には17棟の建物があり、約120人で守備していたが、完成から13年後の明治元年(1868)箱舘戦争の時、相手方に陣屋が使われないよう建物に火をつけ焼払って退いた。
この陣屋は、保存状態もよく城造りの資料として価値が高いことから、昭和40年3月18日、国の史跡に指定された。
『現地説明板&石碑より』
現況・登城記・感想等
戸切地陣屋跡は想像を超える大規模な城郭であると共に実に良好な形で残っていた。それにも増して、表御門への桜の古木の長い並木道は、桜が咲いていなくても素晴らしかった。満開時にはさぞや見事なものであろう!
戸切陣屋地の構造は四稜郭で東側の突き出た所が亀が首を出した形をしている。
虎口は大手口(表御門)と搦手口(裏御門)の2つある。どちらも模擬門が建ち、その両側の土塁と手前の堀と土橋の光景が良い。また、両方の虎口とも城内に馬隠しがあり、その土塁がかっこいい。
城内には、建物群を示す杭が復元され、それぞれ詳細な説明板が付いている。
さて、本命の曲輪周囲の土塁と堀である。その土塁の上に登り一周したが、どこから見ても、折のある土塁と堀が見事である。中でも、東側の亀の首は実に見事で、その砲座のある土塁と堀は、いつまで見ていても飽きない。
見応えのある陣屋跡であり、北海道に五稜郭以外にまさかこれほどの城跡があるとは想像だにしていなかったので、なんか儲けたような気持ちになった。
ただ、雨上がりの城めぐりで、しかも秋に向かうこの季節。生き残りを賭けた蚊がやたらと寄って来る。体中を叩きながらの城めぐりで、蚊に刺されまくったのには閉口した。そして、カメラを構えるとすぐに2~3匹の蚊が手に留るので、ついつい手を動かして写真がぶれてしまう。北海道は内地と較べて何でも大きい(ex.もみじ、蔦、水芭蕉、鰈)が、蚊もやたらでかくて参った~(;´▽`A``
(2007/09/10登城して)
ギャラリー
戸切地陣屋への桜並木の道
桜の古木の長い並木道は、桜が咲いていなくても素晴らしかった。満開時にはさぞや見事なものであろう!
外郭への虎口
桜並木の道を進んで行くと外郭への虎口へ出る。外郭の一部は広~い駐車場になっている。花見の際のために設けられたものだろう。
外郭
外郭には役所などがあったようで、井戸跡なども。
外郭の土塁(東側)
桜並木の道路を進んで行くと、両側に高さ1mほどの土塁が伸び、手前の畑地と区分けされていた。この内側からが外郭部分なのであろう。
外郭の土塁(西側)
外郭からの眺望 ~クリックにて拡大画面に~
天気がもう一つで遠くがやや霞んでしまっていたものの、この陣屋は高台にあり眺望が素晴らしい。
表御門前の桜並木
駐車場に車を置いて陣屋方面へ。ここも素晴らしい桜並木が100mほど続く。
表御門
表御門の前面には空堀があり、土橋が架かっている。門の奥には、中が覗けないように設けられた馬隠しの土塁が見える。
表御門前の堀
表門奥の馬隠し
この馬隠しの土塁も綺麗だ。
裏御門
表御門の反対側には裏御門がある。
裏御門を郭内から(右の土塁は馬隠し)
陣屋内
陣屋内には、建物群を示す杭が復元され、それぞれ詳細な説明板が付いている。
東側の亀の首部分の土塁と堀を ~クリックにて拡大画面に~
土塁の上に登り一周したが、どこから見ても、折のある土塁と堀が見応えがある。中でも、東側の亀の首は見事で、その砲座のある土塁と堀は、いつまで見ていても飽きない。
東側の大砲入跡と亀の首部分の土塁(砲座も)
北側の土塁と堀 ~クリックにて拡大画面に~
この北側の折りのある土塁と堀も実に綺麗で、しばらく見とれていた。写真奥は亀の首部分。
西側突出部の土塁と堀
この陣屋場所が高台にあるのがよく分かる。