小堤城跡東辺の土塁
中世に300年近く亘理地方を支配した武石氏(亘理氏)の居城
読み方
こづつみじょう
所在地
宮城県亘理郡亘理町泉ケ入88、大雄寺
【アクセス】
大雄寺境内一帯の丘陵地が城跡
大雄寺:亘理町字泉ケ入88、電話0223-34-7796
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 大雄寺
【遺構等】 曲輪、土塁、亘理歴代領主墓地、標柱(説明付き)
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2015/10/27
歴史等
小堤城の築城については定かではないが、中世に300年近く亘理地方を支配した武石氏が築城し、以後、代々居城したと考えられている。
武石氏は千葉常胤の子孫で、常胤が奥州合戦の功で得た所領の内から三男・武石胤盛(初代)が亘理郡など3郡を分与され、乾元元年(1302)に胤盛の曾孫宗胤(4代)が亘理の地に下向して以降、この地を支配した。
そして、暦応2年(1339)第7代広胤の代に亘理氏を名乗った。
その後、16世紀初頭には急速に勢力を拡大していた伊達稙宗の傘下に入った。
天正年間(1573~92)の元宗・重宗父子の頃、小堤城の東方に亘理城を築いて移り、小堤城は廃城となった。
『日本城郭大系3他参照』
現況・登城記・感想等
小堤城は、周囲より15m程高い丘陵地に築かれた単郭式の平山城で、長方形の曲輪周囲を土塁がめぐっていたようです。
現在、土塁は北辺から北東隅にかけて失われていますが、東辺から南辺にかけては良好に残っています。
土塁の高さは内側からは2mほどですが、東辺南寄りは部分の高さは、外側からは、ゆうに5mはある立派なもので、当城跡の最大の見どころというか「一発芸」です(*^_^*)。
尚、南東隅には亘理伊達家歴代墓所があり、山門脇には小堤城の標柱が立てられています。
(2015/10/27訪れて)
ギャラリー
大雄寺山門
古刹「大雄寺」が小堤城跡で、立派な山門が建っています。慶長8年(1603)伊達成実が亘理に移封されると、翌年に小堤城跡に後の亘理伊達氏の菩提寺である大雄寺が移されたそうです。山門は、文政年間(1818~30)に建てられたようで、二階建てで下層に屋根のない楼門形式です。
曲輪(大雄寺境内)
境内は曲輪跡と考えられ、多くが墓地となっていますが、今も東辺から南辺にかけて土塁が良好に残っています。
伊達成実・実元・実氏霊屋
南東隅の土塁は分厚く、小堤城時代は櫓台であったと思われます。今は、初代領主伊達成実・成実の父実元・中興の祖実氏の霊屋になっています。
伊達亘理家歴代墓所
霊屋の右手(西側)には土塁に沿って伊達亘理家2代~13代の歴代領主及び夫人・子女の墓所となっています。
【土塁】
東辺土塁(内側から)
東辺の土塁は、内側からは2m弱といったところです。
東辺土塁(外側から)
東辺は道路に沿って土塁が良好に残っています。高さは4m近くあるでしょう。
南東隅から東辺にかけての土塁(外側から)
東辺の土塁は、南の方へいくほど高くなり、南東角あたりは高さ5mほどになります。当城跡で最大の見どころというか「一発芸」かも(笑)。
南東隅の土塁
土塁の南東隅は分厚い上に高く、明らかに櫓か何らかの建物が建っていたと思われます。南辺の土塁も見てみたかったのですが、入って行くことができませんでした。