磐城 金山城(丸森町)

本丸大手口脇に残る高石垣

伊達氏重臣・中島宗求の山城で仙台藩21要害の1つ、本丸大手口に高石垣が

読み方

かねやまじょう

別名

金山要害

所在地

宮城県伊具郡丸森町金山字黒森
【アクセス】
登城口は2ヶ所あるようですが、北麓(金山小学校の南東約400m)から登りました。上手く説明できませんが、丸森町中心部から国道113号線を南東へ進み、金山小学校近くまで来ると左手に案内板があったので、それに従って進むと金山城北麓の登城口(案内板有)へ出ました。そこを右へ100mほど登ったところに駐車場があります。
金山小学校:丸森町金山下前川原1、電話0224-78-1616

所要時間

登城口から本丸まで約13分、見学総時間は約1時間でした。

形状

山城(標高117.6m、比高95m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、堀切、石垣、石碑、説明板ほか

満足度

★★★★

訪城日

2015/10/27

歴史等

金山城は永禄年間(1558~70)に相馬氏の家臣である井戸川将監・藤橋紀伊守によって築城されたという。
伊具郡は古くから相馬氏と伊達氏の紛争地帯であったが、永禄9年(1566)に伊具郡が相馬領となると、金山城は井戸川将監が城主となり、後に佐藤為信および中村清忠が拠った。
天正4年(1576)から伊達晴宗・輝宗父子は伊具郡の所領奪回戦を開始し、8年間の抗争の末に天正12年(1584)この地の奪回に成功した。
伊達政宗は、この戦いに功のあった中島宗求に金山城と本郷・大内・伊手の3ヶ村2,000石を与えた。宗求は天正16年(1588)には、相馬氏に備え、本城や南の居館の各所に石垣・土塁・堀切などの防御施設を造って強固な構えに改築した。
その後、中島氏は、この地を動くことなく伊達一族としての格式をもってこの地を治め、代々金山要害の城主として明治を迎えた。
『「現地説明板」、「日本城郭大系3」他参照』

現況・登城記・感想等

金山城は、阿武隈川南岸に位置する独立丘陵に築かれています。
本丸は山頂部に位置し、東西約27m×南北約60mのほぼ長方形で、南側3分の1が1mほど低くなっており、石垣で区画されています。
本丸の出入口は東側と西側あり、東側が大手口になっており、大手口脇には立派な高石垣が残っています。高さ8m近くあり、当城跡の一番の見どころでしょう。
金山城跡には、他にも、二の丸の南側の家中屋敷跡との間の土塁と堀切や三の丸埋め門跡近くの堀切(陸橋跡)等々見どころが多々あります。
また、本丸から見下ろす眺望もいいです。
(2015/10/27登城して)

ギャラリー

金山城案内図(金山城跡北麓の案内板より)
00金山城案内図

侍屋敷跡
案内図によると城の北麓には侍屋敷は並んでいたようで、今も道の両側には石垣が残っています。
01城下町

登城口
侍屋敷からの登城口で大手口です。
03登城口

米蔵跡
登城口から登り始めると、すぐ右手上に米蔵跡が。段曲輪のようになっていました。
05米蔵跡

引地家屋敷跡
左手には引地家屋敷跡が。引地氏は中島氏譜代の臣です。
07引地家屋敷跡

三の丸大手埋門跡
登城道を登って行くと、三ノ丸大手埋門跡に出ます。埋門といっても、それほど大きなものではなかったようですが、壁面には石積みも見られます。
三の丸大手埋門跡

三の丸
埋め門跡を登って行くと三の丸下段跡へ出ます。三の丸は塁段になっていて、ここは三の丸下段のようです。周囲には土塁がめぐらされ、左には硝煙蔵跡があり、その奥には不動堂が建っています。
三の丸

三の丸土塁
埋門のところから三の丸を取り囲むように土塁が延びています。
三の丸土塁跡

硝煙蔵跡
硝煙蔵

不動堂
現在も手厚く保護されているようでした。
不動堂

出丸と埋門 
不動堂を左手に見て、大手道を登って行くと、右前方に出丸が見えて来ます。そのすぐ右下には三の丸埋門跡があります。
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堀切(陸橋跡)
出丸の南東は堀切で断ち切られていますが、往時は陸橋が架けられていたようです。堀切の向こうには兵具蔵跡があるのですが、作業中のため立入り禁止になっていました。
IMG_9965

兵具蔵跡を
堀切の先は、作業中のため立入禁止になっていたので、堀切下から写真だけ撮りました。
IMG_9966

出丸へ
堀切下から出丸へ登ってみましたが、周囲は木々に遮られ眼下の景色は見えませんでした。写真右下が三の丸埋門跡です。
IMG_9930

出丸から本丸を望む
出丸上からは本丸がよく見えます。往時は写真すぐ前の出っ張りへ陸橋が架かっていました。
IMG_9932

大手門跡へ
出丸から降りて、本丸へ向かうと、本丸へ登る坂道がありましたが、その下に大手門と石垣への案内板があったので、本丸下を左へ廻って行くことにしました。
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本丸切岸
本丸下の切岸はなかなか見応えがあります。そして、奥の方に高石垣が見えて来ます。
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高石垣①
高石垣は高さ8m近くある立派なもので、その手前の坂道が本丸への大手道です。
IMG_9938

高石垣②
高石垣の斜度は垂直に近いです。よくぞ、これほど良好に残っていたものです。しかし、この金山城の中で、これほど立派な高石垣はここだけなのは何故でしょうね?
IMG_9939

本丸への大手道
高石垣前から九十九折れの大手道を登って本丸へ向かいます。
IMG_9964

大手門跡
本丸への大手道を登って行くと大手門跡へ出て、本丸へ登ります。
IMG_9958

本丸
本丸は、東西約27m×南北約60mのほぼ長方形で、南側(写真手前側)3分の1が1mほど低くなっています。
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本丸を区画する石垣
本丸を区画する段差には石垣が設けられています。
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本丸からの眺望(西方面)
本丸からの眺望は、なかなかのものです。
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二の丸の南側の土塁
二の丸南側には高さ2mほどの土塁が設けられています。手前に「←黒森山砦跡」の案内板があったので向かうことにしました。
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家中屋敷跡
土塁の向こう側には家中屋敷跡があり、二の丸とは堀切で断ち切られています。
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二の丸と家中屋敷を断ち切る堀切
堀切は、幅5~6mあり、堀底から二の丸側の土塁上までは4m強、家中屋敷上までは2mほどあり、なかなか見応えがあります。
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黒森山砦跡
家中屋敷跡の奥へ向かって歩いて行くと、100mほどのところに出丸のような高台(写真奥)がありました。どうやら、それが黒森山砦跡らしいのですが、高台の上は強烈な藪でとても入ってはいけませんでした。
IMG_9961

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