大鳥井山北側の空堀
清原光頼・頼遠父子が築城、後三年の役で源義家・清原清衡連合軍により落城
所在地
秋田県横手市大鳥町、大鳥公園
【アクセス】
朝倉小学校の西北西約300mにある大鳥公園が城跡で、公園に無料駐車場が完備。
県道272号線の幸町信号を400~500mほど北上した交差点(信号有)を左折し、70~80mほど西進し、突き当りを右折し100mほど北上したところを左折すると公園駐車場へ出ます。
朝倉小学校:横手市睦成字碇185、電話0182-32-6070
所要時間
今回の見学時間は25分でした。
形状
城柵・平山城(標高80m、比高20m)
現状・遺構等
【現状】 大鳥公園(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、堀切、説明板など
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2015/10/16
歴史等
諸説あるが、平安時代の永承・天喜年間(1046~58)、清原光頼・頼遠(大鳥居太郎)父子が築城したと伝えられる。
前九年の役(1051~62)により奥羽一帯を支配していた清原一族の内紛は源義家の介入により後三年の役(1083~87)へと発展し、横手盆地一帯に戦火が広がった。
そして、大鳥井柵は清原家衡が籠った金沢柵と共に源義家・清原清衡連合軍の攻撃を受け落城した。
乱後の寛治元年(1087)、奥州の覇者となった藤原(清原)清衡は、三男・正衡をここに置き、柵を再興した。これを関根城もしくは関根柵ともいう。
『「日本城郭大系2」、「現地説明板」他参照』
現況・登城記・感想等
大鳥井柵は、横手市の市街地の北部、雄物川の支流の横手川と吉沢川の合流点に位置し、大鳥井山と小吉山の2つの独立丘陵からなっていたようです。
大鳥井山の主郭跡には大鳥井山神社が鎮座し、山の北側には土塁や空堀が残り、尾根には堀切も確認できます。
小吉山も往時は川に面する西側を除く3方向を大規模な二重の土塁と空堀に囲まれていたようですが、現在は東側の大半が改変されて運動公園(多目的広場・テニスコート・プール)になってしまっています。
(2015/10/26訪れて)
ギャラリー
大鳥井柵縄張図(現地説明板より)
大鳥井柵は、横手市の市街地の北部、雄物川の支流の横手川と吉沢川の合流点に位置し、大鳥井山と小吉山の2つの独立丘陵からなっています。大鳥井山の北側には土塁や空堀が設けられていました。小吉山も往時は川に面する西側を除く3方向を大規模な二重の土塁と空堀で囲まれていました。
大鳥公園(大鳥井柵)案内図 ~現地案内板より)
大鳥井山は当時の遺構がよく残されていますが、小吉山は東側大半が改変されて運動公園(多目的広場・テニスコート・プール)になってしまっています。
【大鳥井山区域】
主郭跡
大鳥井山の西端部山頂の主郭跡には、現在、大鳥井山神社が鎮座しています。大鳥井山神社の旧社殿は延宝7年(1679)の建立で、小野寺氏時代の城の門の一部を用いて建立したあものと伝えられるが、昭和31年に焼失し、翌年再建された。
主郭上から南西下を
大鳥井山の南から西側は30~40度の傾斜の急崖で、崖下を横手川が屈曲して流れています。
尾根上の土塁
大鳥井山の南西から北東に延びる尾根の頂部には土塁が設けられています。
堀切
土塁の中央辺りには堀切が確認できます。堀切というよりも、虎口かもしれません。
大鳥井山北側の空堀(東部分)
大鳥井山の北側下には、東から西へ延びる二重の土塁と空堀が確認できます。空堀の幅は5~6mほどあり、深さは薮で覆われているため分かり辛いですが外側土塁から2mほどでしょうか。
大鳥井山北側の空堀(西部分)
空堀は東から3分の2辺りで、土橋のような土塁で区画されています。
【小吉山区域】
小吉山西側部分
小吉山区域は、公園化に伴い改変されたようで、小吉山の西側部分は大土塁のようになっています。
多目的広場
小吉山区域の東側大半は、発掘調査後、公園化され多目的広場やテニスコート、プールなどが建設され、遺構は全く見ることができません。