羽後 本荘城(由利本荘市)

三の丸跡(市役所脇)に復興された城門と蓬莱橋

六郷氏、本荘藩2万石の城。戊辰戦争で自焼した。

別名

鶴舞城、尾崎城

所在地

秋田県由利本荘市尾崎町

形状

平山城

現状・遺構等

現状:本荘城址公園
遺構等:曲輪、土塁、水堀、三日月堀、復興城門、模擬土塀、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2003/03/24

歴史等

関ヶ原合戦の後、山形の最上義光の重臣・本城豊前守満茂(4万石)が当地を統治し、慶長48年(1613)に完成したのが本荘城のはじまりである。元和8年(1622)、最上家は改易となり、本城満茂はこの地を去り、元和9年(1623) 常陸府中から六郷兵庫頭政乗(2万21石)が入封しこの城を居城 とした。明治元年(1868)の戊辰戦争で自焼してしまった。
『本荘市ホームページより』

現況・登城記・感想等

会社のCSR活動の一環として、毎年全国各地の市町村4箇所の消防署に救急車を贈呈している。今回、由利本荘市の消防署に贈呈することになり贈呈式を市役所で行なった。ラッキーなことに、市役所のすぐ横が本荘城址であったので、式後、登城することができた(^^)
本荘藩は、小藩でもあり城の規模はそれほど大きくはないが、水濠と土塁は結構規模も大きくなかなか見事なものであった。
最高所に本丸を置き、輪郭式に二の丸が配置されている。
三の丸北側の水堀と復興された城門の光景は、如何にもお城らしい雰囲気が漂っている。
(2003/03/24に訪城後)

ギャラリー

三の丸北側の水堀、土塁と復興城門
水堀の向こうに松が林立する土塁、そして復興城門。まさにお城といった雰囲気がある。写真左側の建物が市役所。すぐ傍でラッキー(^^)

蓬莱橋から三の丸北側の水堀を

三の丸から本丸を

本丸
本丸跡には本荘神社が祀られている。

三の丸西側の土塁
土塁は、高さ4mちかくあり、幅もかなりある大規模なものだ。

土塁の上にて

土塁上から三日月堀?を
三日月堀が残っていると聞いたが、西側土塁の向こうに見えたのがそうだろうか?ちょっと規模が大きすぎる感がしないわけでもないが・・・?

【救急車贈呈式】
ラッキーなことに、贈呈式会場の市役所の、すぐ隣が本荘城址だった。

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