最上氏一族高擶氏の居城、天童城の支城
別名
采地陣屋(江戸時代)
所在地
山形県天童市高擶(たかだま)、楯の内公民館角に石碑と説明板
楯の内公民館:高擶北2099、電話:023-655-7013
形状
平城
現状・遺構等
現状:宅地
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2008/11/29
歴史等
高櫤(たかだま)城は。最上氏2代斯波直家の四男義直が応永年間(1410年頃)に館を築いたのが創始と云われ、文明年間
(1470年頃)以降、天童城の支城となった。
江戸時代の初期は、山形最上氏の家臣宮崎内蔵丞(4千石)、次に斉藤伊予守(5千石)が城主として在城したが、元和8年(1622)
最上氏の改易とともに廃城となった。
尚、幕末に館林城主秋元氏の陣屋が二の丸の西側に置かれ、
明治維新まで家中屋敷と呼ばれていた。
高櫤城は、立会川扇状地末端部の微高地に立地し、方形輪郭式の平城で、その規模は、本丸は東西約40間(約72m)、南北約50間
(約90m)、二の丸は東西約110間(200m弱)、南北約150間(約270m)、その外側に三の丸があり、
さらに四の丸もあったと推定される。
二の丸は昭和40年代まで堀に水が湛えられ遺存していたが、現在は宅地として埋め立てられてしまった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
高櫤(たかだま)城は、住宅地に埋もれてしまい、全く遺構は残っていないが、旧城内の道は屈折しており、ほとんどが鍵形やT字、
喰い違いなどとなっており、また各住宅も風情があり、往時の面影が偲ばれるようだ。
楯の内公民館の角に小さな築庭があり、石碑と説明板がある。説明板の絵図によると、この辺りは二の丸南東隅にあたるようだ。
それにしても、この城名「高櫤」だけど、なかなか「たかだま」とは読めないよね。また住所は、同じような字でも、手偏で「高擶(たかだま)」
だしね・・・!?
(2008/11/29訪れて)
ギャラリー
高擶城遺構図
城址碑
昭和34年7月10日 天童家24代天童頼信謹筆