武蔵 谷保城(国立市)

城跡東側の堀底道

歴史不詳も、武蔵野国立の地に中世城郭の雰囲気をよく残す

別名

三田館、城山

所在地

東京都国立市谷保6003

形状

平山城(丘城) 比高:約8m

現状・遺構等

【現状】城山公園
【遺構等】郭、土塁、空堀、井戸、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2011/04/12

歴史等

谷保城については多くが不詳であるが、江戸時代から人々に知られていたという。
城主についても諸説あり、江戸名所図会では菅原道武の館跡であると紹介され、新編武蔵風土記稿では菅原氏の子孫で源頼朝の御家人で、後に法然上人に帰依した津戸三郎の館跡としている。また、大正13年(1924)の谷保郷土史では城主は三田県主貞盛であるとしている。
『現地説明板参照』

現況・登城記・感想等

谷保城は、いつも「住みたいところランキング」のTOPを争う国立市にありながら、かなり広い区域が「城山歴史環境保全地域」となり、土塁や空堀等の城跡遺構が比較的良好に残っている。
東側の空堀と土塁の規模は大きく見応え充分だ。また、西側にも浅くなっているが空堀が確認でき、その前には井戸が残っているが、当時のものだろうか?
ただ、郭内は、個人宅になっており、西側に虎口があるが、ここから先は入城できないのが残念だ。
東側から南側にかけては公園となっており、今も湿地となって往時の面影を残し、また古民家なども移築されていて散策する人も多い。
(2011/04/12訪れて)

ギャラリー

東側の土塁と空堀(堀底道)
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西側の空堀
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西側の空堀の前に残る井戸
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郭内への虎口
ここから先は個人宅で、残念ながら入城禁止!
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東側から南側にかけての公園遊歩道
東側から南側にかけては公園となっており、今も湿地となって往時の面影を残し、また古民家(写真左奥)なども移築されていて散策する人も多い。この辺りは、往時は水堀或いは沼地になっていたのだろう。
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