葛西清重館跡と伝わる西光寺の山門
奥州葛西氏の祖葛西清重の晩年の居館
所在地
東京都葛飾区四つ木1-25-8(西光寺)
西光寺:電話03-3691-0300、京成押上線「四ツ木駅」から北北西約300m
形状
館
現状・遺構等
現状:西光寺、宅地等
遺構等:清重神社、説明板
満足度
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訪城日
2009/06/02
歴史等
葛西清重の晩年の居館。
清重は秩父平氏の一族豊島清光の三男で葛西荘を本拠地とし葛西氏を称した。
文治5年(1189)の源頼朝の奥州平泉征伐の軍功で葛西7郡と胆沢・江刺・磐井・気仙・牡鹿・本吉など奥州緒郡
(岩手県南部から宮城県北部)を得て、奥州総奉行職となり、東北地方全域の御家人を統括した。
葛西氏はその後、奥州を地盤に勢力を持ち、豊臣秀吉による奥州仕置で滅ぶまで続いた。
『歴史と旅・戦国大名家総覧(秋田書店刊)ほか参照』
現況・登城記・感想等
西光寺境内付近が居館跡で、西光寺は清重の創建と伝えられる。
遺構は全く残っておらず、山門脇の塀上の説明板と山門を入ってすぐ右手ある清重を祀った清重神社がそれらを伝えるのみである。
説明板によると、近くに清重夫妻の遺骸が葬られている清重塚という古墳があるということで捜したが分からなかった。また、
地元の方にも尋ねたが誰も知らなかった。
(2009/06/02訪れて)
ギャラリー
㊧清重神社、㊨山門脇の塀上の説明板