武蔵 小杉御殿(川崎市)

城下町特有の鍵形に曲った道の角に立つ石碑と説明板

徳川秀忠が造営した将軍宿泊の為の御殿、家康も駿府との往復に用いた

所在地

神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目

形状

現状・遺構等

現状:宅地
遺構等:石碑、説明板

満足度

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訪城日

2009/01/07

歴史等

慶長8年(1603)徳川家康は幕府を開くと江戸近郊の各地に「御殿」と呼ばれるものを造った。 表向きは鷹狩など遊行のためとされたが、実際は領内の状況視察などが目的であったという。
小杉御殿は、慶長13年(1608)、秀忠により造営され、 表御門、御主殿、御殿番屋敷、御賄屋敷、御蔵、御馬屋敷、裏御門などの屋敷が建つ大規模なもので、 敷地は約1万2千坪(約4万㎡)あったという。
江戸時代初期にはまだ東海道は整備されておらず、中原街道が江戸と西方を結ぶ主要な街道であった。徳川家康も駿府との往復に用いたという。
後に東海道が主流となるに至って廃止された。
『「現地説明板」、「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」他参照』

現況・登城記・感想等

小杉御殿は、今では住宅地の中に埋もれ、全く遺構は残っていない。
西明寺方面への手前の道が、城下町によく見られるように防御のためにカギ形に曲がっているのと、 そこに立つ石碑と説明板だけが往時を物語っていると言えるのかも!?
(2009/01/07訪れて)

ギャラリー

案内図
多摩川に架かる丸子橋方面から中原街道を西へ進むと、この案内図がある。

「カギ」の道
更に、西へと進むと、城下町によく見られるカギ形に曲がった道へと出る。

石碑と説明板
カギ形に曲がった所に「徳川将軍小杉御殿跡」と刻まれた石碑と御殿絵図付きの説明板が立っている。 絵図によると、この道の右側一帯が御殿跡のようだ。

御殿絵図(現地説明板より)
表御門、御主殿、御殿番屋敷、御賄屋敷、御蔵、御馬屋敷、裏御門などの屋敷が建つ大規模なもので、敷地は約1万2千坪(約4万㎡) あったという。

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