北側土塁上から眺める御殿跡(常盤公園)
家康の鷹狩りの際の休息・宿泊に築かれた御殿
別名
常盤御殿
所在地
埼玉県さいたま市浦和区常盤1丁目8(常盤公園)
形状
御殿
現状・遺構等
【現状】 常盤公園
【遺構等】 土塁、説明板
満足度
★☆☆☆☆
歴史等
慶長年間(1596~1615)、徳川家康の民情視察を兼ねた鷹狩りの際の休息所のため、この地に浦和御殿が設けられました。
江戸時代初期には「御殿」と呼ばれ、家康や秀忠が鷹狩りの際の休憩所として使用されました。
その後、慶長16年(1611)に廃止され、御殿は取り壊されましたが、廃止後も「御殿跡」「御林」と呼ばれ、江戸幕府に保護・管理されました。
『現地説明板ほかより』
現況・登城記・感想等
妻と浦和の老舗鰻屋さん「中村家」でうな重を食べたあと、結婚当初(45年ほど前)に住んでいた北浦和の家の付近がどのように変わっているか見てみようと、旧中山道を北浦和方面へ向かって歩いて行ったら、右手に高さ2m程の分厚い土塁が取り囲む公園が現れました。
この辺りに砦や陣屋があったとの覚えはないし、ひょっとすると鷹狩りが趣味の家康の宿泊所ではないかと思い公園入口へ廻ってみました。すると、案の定、門の左側に小さな説明板が立っており、そこに家康の鷹狩りの際の宿泊所として「浦和御殿」が設けられたとありました。
我ながら、なかなか鋭い感だと自画自賛(苦笑)。
尚、北側の土塁はかなり広く、それなりの大きさの建物が建てられていたのではないでしょうか?
(2019/04/25訪れて)