南堀南端部
関東郡代伊奈氏10代163年間の陣屋
別名
赤山城
所在地
埼玉県川口市大字赤山
「しばみち本店(植木屋):川口市赤山221」のすぐ脇の道を西へ入って行く
形状
平城(陣屋)
現状・遺構等
現状:山王公園、日枝神社、住宅地、畑地、雑木林
遺構等:曲輪、土塁、堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
歴史等
赤山陣屋(あかやまじんや)は、関東郡代伊奈氏が江戸幕府の直轄地を納めるため、その任地に設けた役所の一つである。
伊奈氏は、徳川家康の関東入府とともに鴻巣・小室領1万石を給され、熊蔵忠次以後12代にわたって関東郡代職にあり、関八州の幕領を管轄し、
貢税、水利、新田開発等にあたった。
3代忠治の時に、赤山領として幕府から7千石をを賜り、寛永6年(1629)に小室(現埼玉県北足立郡伊奈町)から赤山の地に陣屋を移した。
これが赤山陣屋で、以来10代163年間伊奈氏が居城した。
寛政4年(1792)、12代忠尊の時、幕府政治の変化と家中の騒動がもとで改易され、赤山陣屋も廃された。
このため陣屋の建物や家臣団屋敷は取り壊されて畑地となり、現在では、東側に空堀と土塁を残すだけである。
『現地説明板3箇所より』
現況・登城記・感想等
城址へは、「しばみち本店(植木屋):川口市赤山221」のすぐ脇の車一台がやっと通れる本当に細い道を西へ入って行く。
50mほど入った所に日枝神社があり、その前に2台ほど車を停められ所があった。
日枝神社は、築山の上に建っているが、この築山は空堀掘削時の廃土を盛って築かれたと伝えられているとのことである。
この陣屋は、周囲の低湿地に囲まれた台地上に築かれ、縄張は、本丸・二の丸・出丸・曲輪(家臣屋敷地)で構成され、
その規模は陣屋とはいいながら、2万5千坪と非常に広大なものである。
日枝神社から50mほど西へ行くと、左側に綺麗に整備された空堀(東堀)に出会った。
そこをさらに西へ行くと、本丸と家臣団屋敷等を区分する東西に長い空堀(南堀)が続く。この空堀も綺麗に整備され、皐月で囲まれ、
その横の遊歩道は桜並木になっている。それらの花が咲く季節に来たらさぞや綺麗なことであろう。この南堀の中央あたりが表御門跡で、
そこには石碑と説明板が建っている。
そこをさらに進むと、右側に本丸と二の丸を区分する空堀(西堀)がある。二の丸は雑木林になっており入って行けそうにない。また本丸跡も、
雑木林と畑地になっている。
この城址は空堀だけが見どころではあるが、それなりに見応えはある。
(2007/09/01登城して)
ギャラリー
赤山陣屋縄張図(現地説明板より)
周囲の低湿地に囲まれた台地上に築かれ、縄張は、本丸・二の丸・出丸・曲輪(家臣屋敷地)で構成され、
その規模は陣屋とはいいながら、2万5千坪と非常に広大なものである。
日枝神社と築山
日枝神社は築山の上に建っているが、この築山は空堀掘削時の廃土を盛って築かれたと伝えられる。
東堀
南堀
本丸と家臣団屋敷等を区分する東西に長い空堀(南堀)が続く。綺麗に整備され、皐月で囲まれ、その横の遊歩道は桜並木になっている。
それらの花が咲く季節に来たらさぞや綺麗なことであろう。写真左側が本丸、右側は家臣団屋敷地。
西堀と土塁
写真右側の本丸と左側の二の丸を区分する。
表御門跡に建つ石碑と説明板