武蔵 庁鼻和城(深谷市)

国済寺裏に残る土塁

埼玉県内で最初の築城者深谷上杉氏による古式縄張の城郭

所在地

深谷市国済寺521(国済寺)
国済寺:電話048-571-3205)

形状

平城(館)

現状・遺構等

現状:国済寺、宅地
遺構等:土塁

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2008/03/09

歴史等

庁鼻和(こばなわ)城は深谷上杉氏の上杉憲信の居館であった。憲信は性順と号し、関東管領上杉憲実に従い、結城合戦、 享徳の乱を通じて活躍した。
この深谷上杉氏は上杉憲英が南北朝期に庁鼻和に館を構えたのに始まるとされ、その後憲光、憲信と3代にわたって本拠としたが、 4代房憲が深谷城を築いて移り、庁鼻和城は役割を終えたと伝えられる。
庁鼻和城は、埼玉県内古式の城郭で、深谷市教育委員会の調査では、一部で堀跡の確認も行われ、内郭が東西170m、南北140m、 外郭東西660m、南北530mもの規模を有する二重囲画方形館型の城郭と推定されている。
『中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)より』

現況・登城記・感想等

国済寺裏に高さ2mほどの土塁が、北側100m、西側40mほどのL字型に残っているだけである。
尚、国済寺には深谷上杉氏累代の墓がある。
(2008/03/09訪れて)

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント